ジムでは「ありがとうございました」を忘れなかった
史郎氏の躾のせいか、2人は「ジムに入ったら『練習お願いします』『ありがとうございました』はキチッと言っていた」。少年にしては礼儀正しいほうだったようだ。その一方で、ボクシングの素質も高く、「世界チャンピオン」を目指して「努力して一生懸命練習していた」というのである。「(亀田一家は)みんな優しい心の持ち主だった」――セツ子夫人の話から浮かび上がる亀田一家の姿は、礼儀正しく、やさしく、暖かい、ボクシング一家そのもののようにも思える。
亀田一家は東京に移ってからというもの、大阪にいた頃とは全く違う姿になっていたようだ。亀田一家の協栄ジムへの移籍話が出た当時、史郎氏が尊敬していた津田会長は病気のため意識不明状態だった。2007年2月に他界したが、亀田家の人間が津田博明会長の葬儀に来ることはなかったという。セツ子夫人も亀田一家と会うことはなくなった。このころはすっかり一家は「変身」していたようだ。
「東京に行ってから100%変わった」とセツ子夫人が語るように、亀田一家からは丁寧な言葉遣いや態度は消え、挑発的で威嚇的な言動がエスカレートしていく。指導係りの亀田父・史郎氏も観客と乱闘騒ぎを起こすなど、亀田一家の「傍若無人ぶり」は次第にボクシングファンにも反発を産み出すようになってきた。そして、大毅選手が反則行為を繰り返したあの試合へと至る。
亀田大毅選手と史郎氏は2007年10月17日、日本ボクシングコミッション(JBC)で「とりあえず」の謝罪会見を行い、さらに翌18日には、大毅選手が内藤選手に対して直接謝罪した。謝罪会見についてセツ子夫人は、
「(亀田3兄弟と史郎氏)4人とも大毅みたいに頭を丸めて、ネクタイ締めて、土下座でもしないと。でなければ、世間様が納得しませんよ」
諭すようにこういった後で、「初心に戻ってボクシングを勉強して欲しい」と述べている。
亀田一家がかつてそうであったように、礼儀正しくボクシングに打ち込む姿を、いつになったら見られるのだろう。