小池百合子防衛相(55)が2007年8月6日夜、守屋武昌防衛事務次官(62)に退任人事構想を携帯電話で伝えようとした。でも、「つながらなかった」というのが防衛相の言い分だが、事務次官は折り返し電話したという。言った言わないみたいなことで両者がいがみ合うのは極めて異例だ。そもそもクビを電話で言い渡すというのも珍しい。騒ぎの背景には、小池防衛相独特の政治スタイルがあるらしい。
大臣秘書官と次官秘書は必ず連絡できる
記者団の質問に答える小池防衛相(左)と守屋防衛事務次官(日本テレビから)
騒ぎの発端は、小池防衛相が安倍首相に07年8月6日、守屋次官を退任させる方針を伝えた前後に、守屋次官本人に話が伝わっていなかったことからだ。この問題を巡り、小池防衛相は、8月15日の閣議後の会見で、「8月6日夜に次官交代の連絡をするため、二度も携帯電話をかけたが、つながらなかった」と暴露。守屋次官からの返答は、7日朝になってからだったとも主張した。
一方、結果として、毎日新聞の特ダネによって自らの人事方針を知った守屋次官は、激怒した。守屋次官は、8月15日の記者団の質問に対し、「僕は大臣から電話を頂いて、二度つながらなかったことはあるが、その都度、折り返し電話しています」と色をなして反論した。
この携帯連絡を巡っては、通話ばかりでなく、お互いの話もつながらない、双方の"水掛け論"になっているのだ。
なぜ、携帯電話がつながらなかったのか。双方が何かに取り込んでいたのか、地下などの通話圏外にいたのか。J-CASTニュースが、防衛省の広報課報道室に聞いてみると、担当者は「大臣も次官もそのことは言っておられないようですし、こちらも直接確認しないと分かりません」と困惑した様子。しかし、「緊急事態に備えて、必ず連絡が取れるようになっています」と強調した。
携帯のほか、夜なら自宅の固定電話、メール、FAXなどがあり、たとえお互いに連絡が取りにくい状態にあっても、大臣秘書官と次官秘書の事務方間は必ず連絡できるようになっているという。
それなら、なぜ携帯の連絡にこだわるのか。人事異動というかなりデリケートな問題だけに、夜中なら直接伝えなければならなかったのか。そのことを問いただすと、報道室の担当者は、「それはわかりません」と答えるのみだった。
「人事異動の連絡は、普通の企業でも携帯電話は使わない」
そもそも、なぜ人事異動のような重大なことを、執務中の昼間に直接会うか、省内の内線を使うかして、連絡しなかったのか。これに対して、担当者は「携帯電話をするのは、特異なケース。人事異動の連絡は、普通の企業でも携帯電話は使わないでしょうから」と苦しい説明をした。
結局のところ、「直接、携帯電話にかけたのは、(小池防衛相)本人のスタイルかもしれない」(報道室担当者)ということのようだ。
独自のスタイルといえば、小池防衛相は、次官退任の人事構想について、省庁幹部は正副官房長官の人事検討会議を経て決定する慣例を破った形になっている。小池防衛相と犬猿の仲とされる塩崎恭久官房長官(56)も、「正規の手続きを踏んでいない」と突っぱねた。
今回の携帯電話問題の暴露そのものも、従来の大臣では考えられない独自のスタイルだ。本来なら内輪の問題で済ます話を公にしたため、メディア挙げての大騒ぎになった。
07年8月16日付の朝日新聞社説は、「これほどおおっぴらにやり合うのは前代未聞のこと」として、次のように、閣僚失格の烙印を押した。
「次官を交代させたいなら、手順を尽くして本人にきちんと説明すればいいことだ。小池氏は手続きの途中で人事がもれたと説明しているが、この混乱ぶりを見れば進め方に問題があったのは明らかだ。
部下を掌握できず、説得もできない。閣僚としての資質、力量に欠けると言われても仕方あるまい」
田中真紀子外相が2002年1月、外務次官と激しく対立したとき、小泉純一郎首相は、"けんか両成敗"として両者を更迭した。そんな展開になるのかどうか。まだまだ小池VS守屋、塩崎の泥試合は続きそうだ。