東国原知事が感謝状も?
遭難騒ぎがあった07年8月13日午後2時ごろは、熱帯低気圧のうねりと強い南風を受けて、宮崎地区は、3メートル前後の波が立っていた。波浪注意報も出ており、サーフィンで言えば、中級者以上の波だ。海水浴場ではない清武川河口付近は、普段から遊泳禁止区域になっていたが、毎日によると、流された夫婦は、夫が浮き輪に、妻がビート板につかまっていたという。夫婦は、子供たち3人と一緒に実家に帰省中だった。
「河口付近は、川から流れ込む離岸流がすごいところ。海岸には、亡くなられた人たちの慰霊碑が立っているぐらいなんです。その日は、サーファーがたくさんいたため、水遊び程度ならできると思って海に入ったのでしょうが、そういう場合に限って溺れやすい」(氏原さん)という。
ところで、サーファー君は、約100メートル沖までパドリング(ボードを漕ぐこと)し、救助した後、そのままパドリングで戻ってきた。そのサーフィンの腕前はどの程度か?
氏原さんによると、「サーフィンの中級以上の人なら、行って帰れるレベル」という。
とはいえ、サーファーならではの救出劇であることには間違いない。同じ宮崎県の日向市では、騒ぎの2日前の11日、漁業研修生のインドネシア人男性(21)が、ほかの研修生と一緒に海水浴場を散歩中に、女子中学生6人が沖に流されるのを見つけ、助けようとして約5メートル沖で波にのまれた。6人は助かったものの、インドネシア人男性は行方不明となり、翌日、県の防災ヘリによって水死体で発見されている。この男性の善意と勇気は、あまりにも痛ましい悲劇となってしまった。11日は、2日後の宮崎地区と同様に、3メートル前後のうねりで遊泳禁止になっていた。
台風が来るたびに、サーファーが波に流されて救助されるニュースは絶えない。が、このサーファー君は、そんなサーファーの名誉すら回復した。宮崎県庁の関係者は、「お気の毒なインドネシア人男性の場合は、感謝状が出せればいいなと内輪で話題になりました。サーファーの男性の話は、まだ具体的には出ていません」と話す。
さて、どうしますか、東国原英夫知事。