赤城徳彦農相は、茨城県筑西市の実家に事務所を置く政治団体「赤城徳彦後援会」が、10年間で9,000万円を上回る経費を計上した問題について、改めて記者会見を2007年7月10日に開き、「法律に基づいて適正に処理している」などとどこかで聞いたことがあるフレーズを持ち出した。しかし、根拠となる領収書などは一切公開しなかったため、メディアでは「かえって疑惑が深まった」とし、「ナントカ還元水」発言が発端で自殺に追い込まれた松岡元農相と「同じように追い込まれていく」という声も出てきた。
大臣の家族や関係者が総出で「事務所ではない」を撤回
赤城農相のウェブサイトでは、今回の件についての釈明コメントは掲載されていない
07年7月10日の記者会見では、筑西市の実家を事務所として使っていないのではないか、という疑問に対し、「赤城後援会のシンボル的存在であります」と実際に事務所として使っているとした。10年間で9,000万円を上回る事務所経費については、かかった経費を積み上げたものとし、「公私混同や経費の付け替え、架空経費はない」と言い切った。生活費を後援会に支出させたり、両親に対し人件費を払ったことはない、ということだ。しかし、領収書などの赤城大臣の主張の根拠となる証拠は一切公開しなかった。
今回の問題は、赤城大臣が両親のいる実家を主たる事務所として経費を計上していたことが発端。07年7月9日の「報道ステーション」では、実家の近所に住む人の、「事務所になっていない」「人の出入り全然なかった」との証言と、07年7月7日に赤城大臣の母親にインタビューした際の、
「(支援者などの会合などは)今はない。集めることは無いです。(お茶を飲んだりすることも)殆どここではね(無い)」
などを放送した。しかし、同9日には、親族や事務所関係者の前言が撤回されたとし、赤城大臣の父親が弁解。
「(事務所として使っていない、ではなく)秘書がいたり、机を置いたり、そういう近代的な事務所ではないとお伝えした」
さらに、「報ステ」の記者が質問すると、
「それは事務所に聞いていただきたい」
と答えた。
また、「実家の事務所は活動実体が無い。代表であることも知らなかった」としいていた赤城大臣後援会の青木来三郎代表も、実家を事務所に使っていた、とし、事務所経費について記者から質問されると、
「私は赤城派の象徴的存在。雲の上の存在だから、いちいちどうだこうだと口を挟みません。(経理関係も)承知していません。それは事務方が処理していたから」
と質問をはぐらかした。
赤城大臣の家族や関係者が総出で前言を撤回し、赤城大臣を守ろうとしているようなのだが、逆効果になっているようにも見える。