富士重工業は約7年ぶりにフルモデルチェンジした新型「スバル インプレッサ」を2007年6月5日に発売した。インプレッサといえばこれまで、小ぶりな車体に走りの技術を凝縮したこだわりが「走り屋」の間で熱烈に支持されてきたクルマだった。だが、3代目モデルになる新型は前・後輪の間隔を伸ばして室内空間の快適性を高め、荷室の使い勝手の良さにも気を配った「実用5ドア」に変身した。
ここ数年の販売不振から、脈々と受け継がれてきた「技術屋」の社風を反省し、顧客第一主義に転換したことを、商品パッケージを通じてアピールした形だ。ただ、スバルのスポーツイメージを熱烈支持してきた固定ファン層は、これをどう受け止めるのだろうか。
「技術偏重から顧客第一へ」
インプレッサは「万人向け」にイメチェン
インプレッサは世界ラリー選手権(WRC)で活躍してきた日本のラリーカーの代表車種だった。独自の水平対向エンジンと乗用四輪駆動という高い技術力に裏付けられたツーリングワゴン「レガシィ」、SUV「フォレスター」とともに富士重工の3本柱の一つだ。
フルモデルチェンジでは、ボディーの全幅を4.5センチ広げ、これまでの5ナンバーから3ナンバーに大型化した。また、2代目まではスポーツワゴンと4ドアセダンの2タイプがあったが、新型は5ドアハッチバック一本で発売した。
そうした理由は二つある。一つは従来のモデルが北米市場向けとしてはボディーが小さすぎたこと。二つめは、欧州市場で人気の高い5ドア車にすることで、グローバル戦略車との位置付けを明確にしたことだ。
富士重工は90年代以降のレガシィの成功でワゴンタイプの乗用車というカテゴリーの一時代を築いた。だがその後は、ミニバン、SUV、コンパクトカーが台頭する市場に埋没した。
レガシィの成功体験が強烈すぎたせいか、走りにこだわり続け、「いい車が売れる」と技術に偏重する傾向があった。女性を含めた新規顧客の開拓はお世辞にも上手だったとはいえない。
1999年に米ゼネラル・モーターズ(GM)と資本提携した後も、GM車との技術の相互乗り入れには消極的な姿勢を貫いた。同じGMグループのスズキとの軽自動車分野の協力も進展しなかった。
転機は2005年10月にトヨタグループ入りしたことだ。
未曾有の経営不振に陥った米ゼネラル・モーターズ(GM)と資本提携を解消する事態となり、放出された富士重工株の8.7%分をトヨタ自動車が取得して、筆頭株主となったのだ。
そして06年5月に就任した森郁夫社長は「技術偏重から顧客第一へ」を真正面から掲げ、車の開発からすべてを見直すと表明した。