現代、三菱とアジアでも失敗の連続
アジアでも2000年に日本の三菱自動車、韓国の現代自動車と資本提携を結んだが、ことごとく失敗した。三菱自動車との関係でいえば、リコール(回収・無償修理)隠し事件などの不祥事が相次いで業績低迷が続く中、主導権を完全に押さえて出資比率を引き上げ、その後、三菱自動車から稼ぎ頭のトラック部門を分社化した三菱ふそうトラック・バスを直接の子会社に収めた。
しかし、肝心の乗用車部門はベンツ・クライスラー・三菱自動車の3社のプラットフォーム(車台)の共通化など、周辺から期待された案はほとんど実現しなかった。ダイムラーが苦手とする超小型車「スマート」を三菱自動車と共同開発した程度。それどころか、車体デザインではベンツを真似て三菱自動車の「三菱マーク」を必要以上に大きく変えて見事にコケるなど、日本市場のマーケティング分析もお世辞にも十分とはいえなかった。結局、2度目のリコール隠し発覚後に三菱自動車への追加支援を打ち切り、手のひらを返すように同社の再建から手を引いた。
現代自動車も、ダイムラーの高飛車な介入姿勢に反発し続け、結局、2004年に提携を解消している。
そもそも、ダイムラーは日本の資本提携先として、最初は当時不振にあえいでいた日産自動車を狙っていた。日産側も一時は出資を期待したが、一気に子会社する方針とグループ会社の大胆な整理を求めたダイムラー側の過酷な条件をのむことができず、日産は断念して仏ルノーとの提携に向かった。
ゴーン改革でその後の日産社内の締め付けは厳しくなったものの、関係者は「フランス企業のルノーらしい穏当な融和策が日産の改革をやりやすくした。ルノーでなくダイムラーを選んでいたら日産もどうなっていたか」と、投資ファンドに身を委ねることになったクライスラーと絡めて巨大合併の難しさを振り返る。