「こんな仕打ち受けるとは」 長崎市長選 妻の「捨てゼリフ」

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   選挙活動中に現職市長が暴力団幹部に射殺され、混戦模様となった長崎市長選だったが、市長の娘婿である横尾誠候補(40)を、長崎市統計課長だった田上富久候補(50)が僅差で破った。横尾陣営は、遊説中には伊藤市長の遺影を掲げるなど、徹底して情に訴える「弔い合戦」をもくろんだが、うまくいかなかった。落選結果を受けて、横尾氏の妻、優子さん(36)からは「このような仕打ちを受けるとは思わなかった」と、「捨てゼリフ」とも取れる発言も飛び出した。

   横尾氏は落選後に

「私の至らなさでこんな結果になり、本当に申し訳ございませんでした」

と挨拶。妻の優子さんからは、父を奪われた上に「弔い合戦」にも敗れてしまったショックからか、こんな発言が飛び出した。

「父伊藤一長はその程度の存在でしたか??」

「横尾さんは平和行政に詳しくない」との声もあがっていた
「横尾さんは平和行政に詳しくない」との声もあがっていた
「ご支援いただいて本当にありがとうございました。父伊藤一長はその程度の存在でしたか?? 伊藤一長、浮かばれないと思います。父が愛する長崎でこのような仕打ちを受けるとは本当に思いませんでした。ごめんなさい、こんなこと言って。申し訳ない」

   気が動転していたことを差し引いても、落選の弁で、このような「捨てゼリフ」を吐くのは異例だ。この直後、優子さんはショックのあまり倒れ込み、事務所のスタッフに支えられながら舞台を後にした。「まあ、あんまり良い印象は受けませんよね」と口にする長崎市民もいた。

   2007年4月17日夜、4選を目指して遊説をしていた伊藤一長長崎市長(61)が暴力団幹部の男に拳銃で狙撃され、翌18日未明に大量出血で死亡した。これを受けて補充立候補が受け付けられ、同18日には横尾氏が「(伊藤市長は)あんなに『長崎が好きだ』と頑張っていたのに」などと述べ、義父の遺志を継ぐ意思を強調した。翌19日の立候補が締め切られる約1時間前に田上氏が立候補。「市政はひとりのものでもなければ、家族のものでもありません」と対決姿勢を示し、事実上の一騎打ちとなった。
   わずか数日の選挙戦を経て、23日に投開票が行われた。結果は、横尾氏77,113票に対して田上氏78,066票。僅差で田上氏が勝利した。

出馬会見でニヤニヤしているように見えたのが悪かった?

   各紙は「弔い合戦」に敗れた理由として、世襲への反発が大きかった、といった分析が多い。例えば、4月23日の朝日新聞

「朝日新聞長崎総局が実施した出口調査によると、政治家の世襲を『よくない』と答えた人が約7割で、うち約5割が田上氏、約3割が横尾氏に投票。田上氏は、横尾氏に批判的な有権者を取り込んだとみられる」

   その一方で、横尾氏が「よそ者」だったことが敗因だった、とする声もある。
   田上氏は長崎県生まれで、九州大法学部を卒業。80年に市役所に入り、市観光振興課主幹などを務めた。06年には日本初のまち歩き博覧会「長崎さるく博」を発案、延べ1,000万人を集めることに成功している。
   一方の横尾氏は大阪府出身。91日に同志社大学を卒業後、西日本新聞に入社。長崎総局や社会部、北九州支社などを経て、立候補時は、首相官邸キャップを務めていた。横尾氏の長崎との接点は、長崎駐在時に、記者仲間だった優子さんと出会ったことぐらいだ。

   田上氏自身も「長崎のまちは長崎もんでつくりましょう」などと述べ、この点をアピールしていた面がある。確かに、田上氏に1票を投じたという、ある長崎市民(25)も、こう話す。

「長崎市は被爆都市として、全世界に向けて平和を訴えていくという特別な役割がある都市。地元もん以外に平和宣言は読ませられない、と思った。横尾さんは、平和行政について詳しくないようですし」

   さらに、横尾氏には別の敗因があるというのだ。

「横尾さんの出馬会見の時、ニヤニヤしているように見えたのが非常に印象が悪かった。これは、色々な人が指摘しています。何だかんだ言って、人間、第一印象ですからね」

   世襲云々の前に、出馬会見という「第一歩」でつまずいた、との見方だ。

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