出馬会見でニヤニヤしているように見えたのが悪かった?
各紙は「弔い合戦」に敗れた理由として、世襲への反発が大きかった、といった分析が多い。例えば、4月23日の朝日新聞。
「朝日新聞長崎総局が実施した出口調査によると、政治家の世襲を『よくない』と答えた人が約7割で、うち約5割が田上氏、約3割が横尾氏に投票。田上氏は、横尾氏に批判的な有権者を取り込んだとみられる」
その一方で、横尾氏が「よそ者」だったことが敗因だった、とする声もある。
田上氏は長崎県生まれで、九州大法学部を卒業。80年に市役所に入り、市観光振興課主幹などを務めた。06年には日本初のまち歩き博覧会「長崎さるく博」を発案、延べ1,000万人を集めることに成功している。
一方の横尾氏は大阪府出身。91日に同志社大学を卒業後、西日本新聞に入社。長崎総局や社会部、北九州支社などを経て、立候補時は、首相官邸キャップを務めていた。横尾氏の長崎との接点は、長崎駐在時に、記者仲間だった優子さんと出会ったことぐらいだ。
田上氏自身も「長崎のまちは長崎もんでつくりましょう」などと述べ、この点をアピールしていた面がある。確かに、田上氏に1票を投じたという、ある長崎市民(25)も、こう話す。
「長崎市は被爆都市として、全世界に向けて平和を訴えていくという特別な役割がある都市。地元もん以外に平和宣言は読ませられない、と思った。横尾さんは、平和行政について詳しくないようですし」
さらに、横尾氏には別の敗因があるというのだ。
「横尾さんの出馬会見の時、ニヤニヤしているように見えたのが非常に印象が悪かった。これは、色々な人が指摘しています。何だかんだ言って、人間、第一印象ですからね」
世襲云々の前に、出馬会見という「第一歩」でつまずいた、との見方だ。