岐阜県議会議員選挙で自民党の野田聖子衆院議員と佐藤ゆかり衆院議員との「代理戦争」が繰り広げられ、佐藤議員側の勝利に終わった。久しぶりに注目を浴びた野田議員。そういえば、前に話題になったのは2006年末の「『離婚』騒動」。いっさいダンマリを決め込んでいたが、その後はどうなったのか。
県議選「代理戦争」に敗退
野田議員のウェブサイトには今でも「夫 鶴保庸介(参議院議員)」と記載
「代理戦争」の舞台は、07年4月8日投開票された岐阜県議選の岐阜市選挙区(定数9)。同選挙区では自民党現職5人が立候補し、中立の1人を除き、野田議員と佐藤議員とが2人ずつを支援するという構図になっていた。そのうち、県議会議長を務める「野田派」の白橋国弘氏(66) が落選。一方、佐藤議員が支援していた候補者は2人とも当選し、「代理戦争」は佐藤議員側に軍配があがった。
今回、野田議員は「敗戦」という形で注目を浴びることになったが、同氏が全国的な話題に上るのは、06年末の鶴保庸介参院議員との「『離婚』騒動」以来だ。J-CASTニュースでも「野田聖子ヘンだぞ『離婚』ダンマリ」という記事で報じたように、この段階では、「離婚」の理由を説明しないばかりか、「離婚」の事実を認めてさえもいなかった。両者は「事実婚」という形をとりながら夫婦別姓の議論を進めるなど、結婚が政治活動と繋がっているだけに、そのダンマリぶりが批判を呼んでいた。
騒動から4ヶ月がたった今、「離婚」について何らかの説明がなされるのか、両事務所に話を聞いてみた。まずは、野田聖子議員。野田議員のウェブサイトを見ると、「生い立ち&略歴」の欄には、「平成13年 8月 鶴保庸介参議院議員と結婚」とあるが、「離婚」については言及されていない。「家族構成」の欄には、今でも「夫 鶴保庸介(参議院議員)」と記載されている。