愛媛県宇和島市の宇和島湾に迷い込んだクジラを救助しようとした人が、クジラが暴れてボートを転覆させたあおりで死亡した。クジラを助けるために1人の人間の命が奪われる。それが想定外の事故だったとしても、本当にクジラの命を救う必要があったのか。ネット上ではさまざまな意見が飛び交っている。
「捕獲して食べてしまえばいいと思います」
迷い込んだクジラは救うべきなのか(画は「コククジラ」)
「助けたいと思う気持ちも大事だが ヒトの命も大事だ」「命を懸けてまで、クジラを救助しなくてはいけない理由は、どこにあるのでしょうか?湾に迷い込んだのならば、それについては、捕獲して食べてしまえばいいと思います」「かと言って放っておいたら地元の漁に影響出るんだろうし、人の手で傷のひとつでも付けようもんなら烈火の如く怒り狂う団体いるだろうし」「駅や踏み切りで線路上の人を助けようとして亡くなった方もいたが、その人達にこういう事を言う人間はほとんどいなかった。助けようとしたのが人間だったからか?だが何を助けるか、助けたいかは人それぞれあるだろう」
インターネット上のSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の「ミクシィ(mixi)」ではこのニュースついての日記が200件近く更新された。書かれているコメントは、救助して亡くなった人の冥福を祈る、という点では共通している。しかし、クジラを助けるために人間の生命が奪われたことについては、賛否両論さまざまな意見が飛び交う。
J-CASTニュースが既に報じたように、06年11月に徳島市加茂名町の眉山(びざん)ふもとの急斜面で犬が迷い込んで動けなくなった騒動では、評論家の勝谷誠彦さんが自分のウェブ日記上で「レスキューは犬を助けるためにいるのか」などと救助を批判したこともあった。一方で、これまでに迷い込んだり、打ち上げられたりしたクジラを救助した例は数え切れないほどある。それを報じた記事には「かわいそう」という市民の自然な感情が掲載されていることがしばしばだ。
「周りの市民さんの意向をくんだかたちだった」
宇和島市などによると、07年3月13日に宇和島湾にクジラが迷い込んでいるところが発見された。最初は、金属音を出すなどして漁港の外に出そうとしたがうまく行かず、宇和島市、愛媛県宇和島地方局、宇和島海上保安庁、三浦漁協などが対策を協議。県総合科学博物館の学芸員の助言によって、ボートによる救出作業がなされることになった。しかし、クジラにロープをかけたところでクジラが暴れだし、ボートが転覆。真珠母貝養殖業を営む山本宣行さんが行方不明になり、消防署によって引き上げられたが、死亡が確認された。
宇和島市はJ-CASTニュースの取材に対し、今回クジラの救助に至った理由を次のように話す。
「クジラの命を救うのが目的だった」「周りの市民さんの意向をくんだかたちだった。(救助しなければ)『何とかしてくれ』という声が当然こちらに来たでしょう」「誰かが死ぬかとは思わなかった。万全の体制をとって(クジラ救助を)判断した」と説明している。
なぜ1人の人の命が、クジラ救助のために奪われなくてはならなかったのだろうか。市からは次のような答えが返ってきた。
「皆さんが集まって『こうしたい』と話し合ってまとめたことで、責任がどこにあるか、という話ではないと思う」
批判や抗議などは現在までに一つも寄せられていないという。