竹中平蔵総務相は2006年9月15日、政界引退を表明したが、霞が関の役人たちは一様にほっとした表情を見せる。これほど官僚から嫌われた大臣も珍しかったからだ。
閣議後、竹中総務相が、小泉純一郎首相の退陣と同時に、大臣職ばかりか参議院議員の職までも辞すると発表した。一時は、「ポスト小泉」の声も挙がったほど政治力に長け、権勢をふるった出色の経済学者は、首相に殉じるかたちで、あっけなく国会の赤絨毯から去っていく。
「ガタガタにされた僕らの気持ちがわかりますか」
竹中大臣退任で官僚は一安心?
「これで、やっと正常な姿に戻ることができる。郵政という組織に手を突っ込まれ、ガタガタにされた僕らの気持ちがわかりますか」
ニュースを聞いて、旧郵政官僚のひとりは、感無量といった様子で熱っぽく語った。
竹中氏は小泉首相の構造改革の推進役を果たし、不良債権処理などを先導した。01年4月の小泉内閣発足とともに経済・財政政策担当相に就任。02年には金融担当も兼務、05年10月からは総務相として5年5カ月にわたり一貫して閣僚を務めた。
現在総務相の下で働く旧自治省出身の官僚も、安堵感を隠すことができない。彼らの権力の源泉である地方交付税削減に向けて、竹中総務相は改革をすすめている。辞職まであと10日余り。何とか逃げ切ることはできないか…。いまはそんな気持ちなのだろう。
「正直、竹中さん以外ならだれが大臣に来ていただいても構わない。大歓迎です」
淡々と感想を述べたのは、旧総務庁出身の官僚だ。現在の松田次官は、総務庁の人間で、竹中総務相の強い引きによって次官に就任している。役人にとってはそんなことは関係ない、ということなのだろう。