大筋だけ書いてキープしている原稿のうちの1本?
「『見て見ぬフリの国民性』は、まだ大筋しか書いておらず、修正する箇所もありますし、まだまだ書き足りないこともたくさんありますので、最終的には、2倍以上の長さになると思います。また、『見て見ぬフリの国民性』は、あくまでも、大筋だけ書いてキープしている原稿のうちの1本にすぎませんので、いつ公開するかは、まだ決めていません。」
実は、「きっこの日記」での削除をめぐってはほかにも話題になったことがある。「子猫殺し」騒動が拡大するなかで、ネット上の百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」の「きっこ」の項目に、ある文が追加されたのがその発端だ。それは次のようなものである。
「2006/8/21の日記で坂東眞砂子による子猫殺しを猛烈に非難していたが、きっこ自身も猫虐待歴がある。(2006/2/4:現在は該当部分削除)」
その後、掲示板2ちゃんねるなどでは06年2月4日の日記「踊る猫」の削除部分のコピーと思われる文章を書き込む人まで現れた。これに対してもきっこさんに質問したところ、「確実にはお答えできませんが、目を通した印象では、たぶん、あたしが書いたものだと思います」と答えた。それでは、なぜ削除したのだろうか。きっこさんは、「子供が真似をして動物愛護の精神に反する行為に出る可能性がある」という指摘を受け、削除したのだという。この「踊る猫」の削除された箇所では、輪ゴムで猫の前足にタスキガケをしてバタッと倒れるようにする忍法「猫ごろん」、猫の足の肉球にセロテープを貼って、まるで電気にシビレているような歩き方にさせる忍法「シビレ歩き」を紹介している。
2つの削除された記事は、削除されたにもかかわらず、あるいは削除されたからこそブログや掲示板などでコピーされ貼り付けられている。おそらくきっこさんの意に反することではあるが、一度公表してしまったものに対しての責任はどのように考えればいいのか。きっこさんの、削除された「記事」について質問したJ-CASTニュースの記者に対する次のコメントがそのヒントになるかもしれない。