33年続けて軽自動車販売のトップを守ったスズキに異変が起きている。海外で新型車が好評で、供給が追いつかず、猛追するダイハツに逆転されそうなのだ。
スズキは軽自動車を減産し、輸出用小型車の生産に振り替える。軽の減産幅は3万台で、2005年度実績の74万1,000台から71万1,000台に減らす。07年度はさらに3万台減の68万1,000台とする計画で、05年度に軽販売で3万台差の2位だったダイハツ工業がスズキを逆転する公算が大きくなった。98年の軽規格改定以降、積極的に新商品を投入してきたダイハツは、会社設立100周年に当たる07年までに悲願達成をめざす。
海外で売れすぎて困るスズキ
スズキ「スイフト」は、スポーティーな走りとデザインが世界的に受けている
スズキは05年まで33年続けて軽首位を走ってきた。02年にトヨタの「カローラ」が登録車の車名別順位で「フィット」に抜かれ、止まった連続首位記録はやはり「33年」(01年まで)。長期間にわたる連勝記録がまたしても危機に瀕している。
背景には、スズキが取り組むグローバル企業への脱皮と、ダイハツの開発、生産、販売が一体になった追い上げがある。
スズキが軽減産に踏み切った直接の理由は海外で新型車が予想以上に好評で、供給が追いつかなくなったためだ。安物イメージを払拭し欧州で認められる小型車をめざして04年に投入した「スイフト」は日本、ハンガリー、中国、インドで年25万台を生産するまでになった。スポーティーな走りとデザインが世界的に受けている。
05年発売のSUV「エスクード(海外名グランドビターラ)」、06年発売のSUVと小型車の要素を採り入れた「SX-4」も好調で、今年度末にはバックオーダーが7万台に達する見通し。これは「うれしい悲鳴」を通り越し、顧客の期待を裏切りかねない危機的レベルに近い。容易に増産投資に踏み切らない手堅いスズキ流が裏目に出た。
このためスズキは08年秋の稼働をめざし、静岡県牧之原市の相良エンジン工場敷地内に車両新工場を新設することを決めた。それまでの間、緊急避難として軽を減産し小型車を06年度6万台、来年度3万台増産することにした。
無益な、プライドを賭けた戦いはしない
一方、ダイハツは98年10月の軽規格改定以後、主力の「ムーヴ」「ミラ」をほぼ4年ごとにフルモデルチェンジし、軽首位奪取へ経営資源を投入してきた。4年ごとのフルモデルチェンジはかつて日本車の代名詞だったが今はまれ。スズキの「ワゴンR」は5年、「アルト」は6年周期になっている。
業販、いわゆる街のモーター屋さん経由の販売が9割を占め、泥臭い地域密着のスズキに対し、ダイハツは業販と直販がほぼ半々。「カフェプロジェクト」などこぎれいな店舗戦略も仕掛け、女性客や120万円を超える高額商品に強みを持つ。J-CASTニュースに対し、「販売だけで勝っても意味はない。総合力で勝たなければ」と箕浦輝幸社長は話す。
両社が真っ向から首位を争うなら年末、年度末に数字をつくるための自社登録が乱れ飛ぶことが予想された。ところがスズキは自ら退くかのような減産を決めた。無益なプライドを賭けた戦いをするよりは売れまくる海外へ供給し、実を取ろうという冷静な判断がそこには見てとれる。
スズキの鈴木修会長は「(軽自動車)トップを選ぶか(全体の)売上を選ぶか、経営者だから売上を選ぶ。私の場合はあまり名誉は選ばない」と語る。
空前の200万台をうかがう軽販売も、中古車オークションに大量の自社登録車が出回るなど、陰の部分を背負っている。スズキが軽減産を判断したことはダイハツとの激突を回避し、業界全体の自社登録を減少させる方向に働きそうだ。
これが減産のもうひとつの理由と見られている。