ホンダの悲願 飛行機へ本格参入

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   ホンダが米国で小型ビジネスジェット機を量産し、航空機事業に本格参入する。日本の自動車メーカーが航空機事業に参入するのは初めて。ホンダにとって航空機事業への進出は、創業者・故本田宗一郎氏の悲願であり、「夢を実現する」創業精神の再現を飛行機に託す。

航空機事業への進出は、創業者・故本田宗一郎氏の悲願だった
航空機事業への進出は、創業者・故本田宗一郎氏の悲願だった

   ホンダは航空機事業を手掛ける全額出資子会社「ホンダエアクラフト」を、米ノースカロライナ州に設立、自社でエンジン、機体とも開発した小型ビジネスジェット機「ホンダジェット」を、2010年ごろから量産する計画だ。需要が見込めない日本での販売は予定せず、米国で事業が軌道に乗った後、欧州と中国でも販売することを検討する。

価格は1機400万ドル(約4億6,000万円)程度

   ホンダエアクラフトは、開発から製造、販売を一手に手掛ける。ホンダジェットは6~7人乗りで、1機400万ドル(約4億6,000万円)程度に価格を設定している。既に機体は完成し、試験飛行を重ねており、法人、個人双方を対象に06年秋ごろから受注活動を始める。独自技術として、通常なら機体後部に置くエンジンを、左右の主翼の上面に配置した。これによって広い客室空間を確保し、高速飛行時の空気抵抗を低減させた。同型の従来機と比べ、燃費性能は3割程度向上しているという。

   米国で小型ジェット機の市場は年間200機規模といわれ、大手の米セスナ社が約50機を販売している。ビジネス拠点が広く点在する国土事情から小型ジェット機の需要は今後伸びると見られ、同様の事情で中国も有望市場と判断した。

宗一郎氏が開発の意向を示したのが1962年だった

   ホンダが航空機事業参入という悲願を果たすまでの道のりは長かった。本田宗一郎氏が航空機開発に取り組む意向を示したのが1962年。だが、二輪車、四輪車で確立した「ホンダ」ブランドも、航空機の世界では通用しない。自社開発エンジンの実証実験に漕ぎ着けたのは、30年以上経った95年。試験機の初飛行は03年だった。

   国内の航空機産業は太平洋戦争当時まで、戦闘機「零戦」に代表される軍用機の開発・生産で高い技術を誇っていた。しかし戦後は解体の憂き目に遭い、航空機産業再興を目指し、国家プロジェクトとして取り組んだ「YS-11」も、受注は不調で「次」につながらなかった。民間機分野では現在、三菱重工などが欧米メーカーから発注を受け、機体部品を生産している程度。86年の研究着手からプロジェクトに参画し、ホンダエアクラフト初代社長に就任する藤野道格氏は「ホンダジェットは速度、燃費、居住性など商品としての競争力を十分備えており、勝算はある」と、米国メーカーとの互角の戦いに自信を示している。ただ、小型機とはいえ、単独での完成機市場参入のハードルは高そうだ。

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