茨城銀行(川嶋烈頭取、本店=水戸市)は合併を予定していた関東つくば銀行(木村興三頭取、本店=茨城県土浦市)が一方的に白紙撤回したことを受けて、2006年6月27日、水戸地方裁判所に11億円余の支払いを求める損害賠償請求訴訟を起こした。その原因はいろいろ取りざたされているが、ここにきて「復縁説」が浮上してきた。
茨城銀行は関東つくば銀行に損害賠償請求。「復縁」はあるのか
茨城銀行と関東つくば銀行は04年11月22日に合併検討開始の合意書を締結し、経営統合に向けて準備を進めてきた。順調に行けば、7月18日には新たに「ひたちの銀行」が誕生していたはずだ。茨城銀行によると、06年3月10日に関東つくば銀行が一方的、正当な理由なしで経営統合を見送る旨を発表、これにより、多大の損害を被ったとしている。損害賠償金額の約11億円は、主にシステム統合費用にあたるという。
訴えられた関東つくば銀は、「突然のことで驚いている。話し合いで決着できると考えていた」(関係者)と困惑の様子だ。
システム統合については、システムの機能、拡張性、経済的合理性、お客への利便性や安全性について検討を重ねた。外部の第三者機関であるコンサルティング会社を入れ、最終的には関東つくば銀のシステムに統合することに決まった。しかし、決定に至るまでには、茨城銀の納得を得るためにコンサルティング会社を代えて、2度にわたり精査した。それもあって、当初06年1月とされていた合併期日を7月に延期する事態にもなったのだから、システム統合がいわば合併破談の遠因ともいえなくもない。
株価急上昇で、「のれん代」めぐり、こじれる
関東つくば銀行は、合併の白紙撤回の理由を「のれん代」が膨らんだためとしている。04年12月末に590円だった関東つくば銀の株価は、05年末には2,615円となり、上昇率の343.2%は地銀トップだった。
旧関東銀と旧つくば銀の合併時に公的資金を資本注入し、不良債権処理も遅れぎみと伝えられ、他の地銀に比べて株価も低かった。それが合併の落とし穴になった。
企業買収の際、のれん代は企業の時価総額と実際の買収額との差額で示される。新会社の資産として計上されるため、決算時に償却しなければならない。
のれん代は、株価や総資産などから算定されるが、関東つくば銀の株価の急上昇で、のれん代が当初見込みの10倍となる約500億円にも膨らんだ。関東つくば銀が「のれん代の償却が新銀行の負担となり、株主に迷惑をかける」と判断したのに対し、茨城銀は「克服できる問題」としていた。この相違が合併破談の原因になった。
原因を「人事」にみる向きもなくはない。合併に反対していた、地元の有力者である茨城銀の会長の存在があった。それでも、なんとか乗り切るとみられたのは、関東つくば銀の峯嶋利之会長と茨城銀の川嶋頭取はともに旧大蔵省の出身で、そもそも3行合併が青写真としてあった、金融庁の肝煎りの案件だったからだ。 ところが、これが反対に働いたという。
金融当局の怒りを買ったことは間違いない
訴訟の行方では、関東つくば銀の勝ち目はない、という見方が大勢だ。同行の06年3月期決算は、経常損益で33億3,800万円の赤字、最終損益で43億4,500万円の赤字を計上した。そこへ、損害賠償訴訟の支払いとなれば、関東つくば銀行にとって相当なダメージになる。ある第二地銀の役員は、「3月の白紙撤回の段階で茨城銀は10億円程度と損害額を示していたものの、少ないな、という印象がある」さえ言う。
そこで浮上するのが、“復縁”説である。地銀界では、「(合併の破談が)金融当局の怒りを買ったことは間違いないし、意地もある」(地銀幹部)ので、両行とも単独での生き残りは厳しいとみている。
茨城県内にはガリバーの常陽銀行が、デンと構える。関東つくば銀は土浦市に本店を置くように、もともと県南の銀行で県内シェアは低かった。茨城銀は、茨城県信用組合や水戸信用金庫より規模で下回るから、存在意義さえ問われる事態になりつつある。
他県をまたぐ経営統合が主流になりつつあるが、「金融当局に目をつけられた、火中の栗を拾おうと思う銀行はさすがにいませんよ。地銀連合でファンドをつくり、一時国有化されている足利銀行を含め、買い取るくらいのつもりでないと他行は手を出せません」(大手地銀の幹部)という。
両行はATMの相互無料化などの提携関係は続けている。合併の白紙撤回が、地元取引先にプラスに働くこともなさそうだ。訴訟を潮に、再度合併に向けた調整が進められるとの見方もあながちハズレてもいなさそうだ。