村上ファンドを率いる村上世彰氏は、投資ファンドそのものをすべてシンガポールに移し、家族とともに2006年5月16日、日本を脱出した。出国する直前、六本木ヒルズにある彼の事務所で会い、なぜ日本を脱出したのか、聞いた。
「日本では金儲けは悪いことのように言われる。企業家や投資家が住むところではないと思った」。
村上氏が日本から脱出したシンガポールのビジネス街
つまり、日本に愛想を尽かしたのだ。無能な経営者が企業を私物化し、投資家も文句は言わない、親しい会社同士が株を持ちあいして、外部からの批判を封じる。緊張感のない経営体質を株主として鋭く批判すると、あたかも銭の亡者のような非難を浴びる。日本は資本主義ではない、世界規模で起きている競争に勝てるわけはない。こんな日本で自分の子供を育てる気にはなれない、というのである。
彼は05年に4人目の子供が出来た。シンガポールで国際人に育てたい、という。なぜシンガポールかと聞くと、こんな答えが返ってきた。
「快適で合理的な国。国全体がホテルみたいなもので、外国人を差別しない。空港などインフラが整っているから、プライベートジェット機でどこにでも飛べる。当局は投資ファンドにも理解があり、積極的に誘致している」
巨額の資金は当局に知られることは好まない
シンガポールは「明るい北朝鮮」とも言われるほど、政府の権力が強い。グリーン・アンド・クリーンという標語に沿って都市の緑化と役人の規律強化に国を上げて取り組み、一方で、金融資産の秘密保持を徹底し、他国から照会があっても情報提供に非協力的であることも有名だ。人口100万人にも満たない都市国家に、金持ちと資金を集めるために税金は安く、財産の秘密は守る、という政策を続けている。金儲けは妬まれる日本は居心地が悪いと思っていた村上にとって、ホテル住まいのようなシンガポールの暮らしが肌に合うのかも知れない。
他人の目、よりもっといやなのは当局の目、ではないか。村上のビジネスは金持ちや機関投資家から資金を集め、運用して成功報酬を受け取る。いわゆる投資ファンドで、運用資金は1兆円を超える。彼の会社であるM&Aコンサルティングは投資戦略を練る頭脳部分で、資金の受け皿、MACアセットマネジメントは別会社になっている。証券取引法ではM&Aコンサルティングは当局への届けや報告義務はない。しかし、今の国会で証取法が改正され、新たに出来る金融商品取引法では、村上のファンドは当局の管理下に置かれる可能性が高い。つまり当局にビジネスの中身を覗かれる心配が出てきた。
悪いことをしていなければ、覗かれても問題がないはず、というのはこの手のビジネスに疎い者の考えで、巨額の資金は当局に知られることは好まない。どんな顧客がいて、何に運用されているのか、は秘密である。
とりわけ国税当局の目に晒されるのは都合が悪い。多くの顧客が節税に関心があるからだ。
当局が好意的に対応すれば心配は少ないが、ライブドアの堀江貴文が証券取引法違反で摘発され「社会の敵」のように扱われた事実は、村上に恐怖心を抱かすのに十分だったのではないか。多くの企業で潜在的に行われてきた「決算の粉飾」が、ライブドアを狙い打ちに適用された。検察当局の「法律の選別的適用」は、日本にいるリスクと感じ取ったのではないか。
摘発の噂だけで「臆病なカネ」は、逃げ出す
TBSに続き、阪神電鉄の買い占めで、注目を集める村上ファンドは狙い打ちの対象になる、という観測は市場にも流れている。
ファンドの特性として、なんらかの事情から摘発を受ければ、そこのカネを預けている顧客に波及することは避けられない。
そうした噂だけで「臆病なカネ」は、逃げ出す。村上ファンドの大きな顧客は、著名財界人であるオリックス会長の宮内義男がいる。村上の主張する「物言う株主」という主張に理解を示し、相当規模の資金を村上に任せていた。
しかし、今回の一件でオリックスはファンドから手を引いた、とされている。
村上が手がけた東京スタイル、ニッポン放送、TBSいずれも、高値売り抜けに成功し、村上ファンドは投資利回り20%という好成績である。村上ファンドが買っている、というだけで株価は上がる、という昨今だ。
ファンドに運用を委託する投資家はどんどん増えている。しかし、あまり派手に動けば世間を敵に回し、当局も無視できなくなる。この辺が潮時、と考えたのではないか。シンガポールに移って、しばらく逼塞(ひっそく)して投資戦略を練る。外資の誘致に熱心なシンガポールの金融当局なら、「狙い打ち」はあり得ない、と見たのだろう。だが、どこに居ようと村上ファンドのホームグラウンドは日本の株式市場だ。阪神電鉄株は、すでに50%近くを村上のファンドが買っている。阪神と経営統合する阪急が肩代わりすることで決着しそうだ。その利益は、日本の国税当局ではなくシンガポールに移る。自分を受け入れない日本には税金を払いたくない。それが村上流の「さらばニッポン」なのかも知れない。
文: 山田厚史