社長昇格の新聞記事には『時給600円のパート主婦から東証1部上場企業の社長に』という見出しが躍っていた。「気が付くと朝5時になっている」という働きぶり、そして売り上げをあげる数々のアイデア。これが評価された結果の昇進だ。
ジェイ・キャストが運営するJINビジネスニュースでは、橋本さんにインタビューを行った。
ブックオフの社長に就任する橋本真由美さん
ブックオフに橋本さんがパートで入ったのは90年4月。41歳だった。
「パートさんになるのが目的で、職種にはこだわらなかったんです。たまたま募集チラシを見て、ここでいいか、みたいな」
パートでも午前5時まで働く
愛知・一宮女子短大卒業後は栄養士として3年間病院で働いた。働いた経験はそれだけで、あとは17年間専業主婦だった。キャリアウーマンへの憧れはなく「とにかく子供をきっちりと育てる」ことが人生の目標だった。2人の娘の母親だが、子供が高校生になって“そのとき”が訪れた。
「ブックオフ1号店がオープンする2週間前にパート採用が決まりました。娘の学費の足しになれば、という軽い気持ちでした」
カロリー計算とPTA活動くらいしか、したことがない主婦だった。しかし、1号店で働き始めるとその潜在能力が解き放たれる。
「稼ぐ事には貪欲でした(笑い)。働くからにはお客さんに喜んでもらいたいし、会社を大きくしたい。そのためにはビジネスモデルをしっかりと作り上げなければと…」
女性も気楽に入れる清潔な店内、立ち読みOK、古本の臭いを消す空調、明るく元気な店員、作家の名前順に陳列…などを次々に提案。坂本孝社長はそれを取り入れた。9時から5時までのパートのつもりだったが、同じ5時でも、午前5時になることも度々だった。
「もっと働くために社員になったようなもの」
都内のブックオフ店舗。橋本さんは、パート時代には朝5時まで働いたことも
「作り上げていく喜びや新規に開店させる喜びで夢中になって働いてきました。もっと働くために社員になったようなものです。パートだと勤務時間など様々な制約があって」
従業員教育を重視する中で、橋本さんはパート時代から面倒見の良さから「お母さん」と従業員に慕われてきた。
時給600円のパートから始めたが、実質的には創業メンバーのような存在だ。坂本社長の右腕と評価され、94年には取締役、03年には常務に就任した。常務である現在も月の半分は業績不振店の建て直しで全国を回り売り場にも立つ。「社長になっても全国の店舗を回り、売り場に立って店舗の見直しや従業員と会話しながらの従業員教育をしていく。そのスタンスは変えません」
ただ、悩みがなかったわけではない。「子供が病気になった時など『私はこのままでいいのか』と、家庭と仕事の両立に迷ったこともあります」。長女は無事に嫁いだ。橋本さんもほっとしているようだ。
ブックオフコーポレーションは、91年 設立の中古本チェーン最大手。店舗数は国内外約860店舗で正社員パートを含め6,500人が勤務する。05年3月には東証1部に上場。業績は好調で、06年3月期売上は前期比11%増の422億1,200万円。経常利益は同18%増の29億7,300万円だった。
タレントの清水國明さんを「CMに出て稼ぎなさいよ」と叱咤激励
「社長になってもらいたい」。ブックオフコーポレーション社長室で、橋本さんが坂本社長からこう言われたのは06年1月だった。大変なことになったと、橋本さんは思った。しかし、「せっかくいただいたチャンスは活かさなければ」。そう気持ちを切り替えた。
今回の社長交代によって「ブックオフ本体の意思決定と業務執行のスピードが一段と速くなる」と同社社長室では説明する。坂本社長は会長になり、世界戦略と関連企業を統括。橋本さんの役割を明確化させることで一層の事業拡大を目指す。
さて、橋本さんはタレントの清水國明さんの実姉だ。ブックオフのテレビCMに清水さんを起用したのも橋本さん。姉の世話になるのは気が引ける、とCM出演を拒んでいた清水さんを「何言ってるのよ!タレントなんて明日をも知れない身なんだから、CMに出て稼ぎなさいよ」と叱咤激励。そんな弟思いの姉としても有名だ。
今回の社長就任に関して清水さんは、テレビのインタビューで「本人(姉)が一番ビックリしてるんじゃないですか!?」と答えている。橋本さんが清水さんに社長就任の話しをしたとき、なんとなく、姉には社長としての力があるのかどうか心配そうな顔をしたという。橋本さんは冗談交じりにこう言い放った。
「あなたはハッタリで仕事をしているけど、私達は地道に仕事をして、実績を残してきたのよ!」
橋本社長が誕生するのは06年6月24日の定時株主総会後の取締役会後だ。国内1500店舗体制、子供用品、スポーツ用品、婦人服、雑貨、アクセサリーなどの多様なリユース業態開発とそのミックス店舗出店など陣頭指揮にあたる。