政治家と官僚の関係は、オーナーと経営者
その一方、日本人の政治家に対するイメージは、ステーツマンではなくポリティシャンである。政治の世界は、真っ当な人が入るところではない、と見られてきた。都市圏以外では地域の名望家が政治家を世襲で行っていることが多く、割り込むにはカネがかかり、財産をつぎ込むか、誰かの世話になるしかない。当選すればその恩義に報いて利権誘導や口利きをする、というのが普通で、政界に入るのは「身を汚す」ようにうけとめられることが多かった。
日本は民主主義の政治システムを採りながら国家の運営は「選挙で選ばれた政治家」でなく「難しい試験をパスした官僚」が行ってきた。
政治家と官僚の関係は、オーナーと経営者みたいなもので、政治家は権力争いに奔走し、スポンサーである業界や自分の選挙区への利益誘導に忙しい。政策を学んだり考えたりする時間はほとんどない。政策の立案・執行はすべて官僚が行う。官僚は政治家を操って法案を国会で議決させ、大臣を教育しながら政策を実行する。
憲法の建前を無視したこうした制度がまかり通ってきたのには、明治以来の「天皇の官吏」という伝統の名残、ともいえる。超越的な権威を代行し、社会に君臨する統治者。これはシビルサーバントであるアングロサクソン的なビューロクラットと異なる。どちらかと言えば中国の官僚像に近い。中国には昔「科挙」と呼ばれる選抜試験があり、全国の優秀な男子が何年も受験勉強をして官吏になった。
日本は「科挙」を取り入れはしなかったが統一国家が完成した明治以来の国家公務員は生まれや門閥の隔たり無く、学力を重視した全国選抜で官僚が登用された。地方公務員も同様で、県庁職員は誇りある職業になっている。世間体がよく安定した仕事で地方銀行と並び、地域社会で最上級とされる就職口になっている。