民主党に古川元久という若手の衆議院議員がいる。大蔵省のキャリア官僚から政界に転じたが、その理由が面白い。
入省5年で米国のコロンビア大学に留学した。大学院で学友や教授から「日本でどんな仕事をしていましたか?」と尋ねられ「大蔵省で官僚(ビューロクラット)をしていた」と胸を張って答えた。日本では「大蔵省のお役人ですか!」と敬意のこもったまなざしで見られたものだが、米国では「そうかい」という軽い反応しかなかった。
「ビューロクラットは、誇らしい仕事とされていない。政治家が決めた方針を忠実に執行するのが役人の仕事、天下国家の運営ではない。やがて日本もそうなると思いました」。
彼は帰国後、役所を辞め、30歳で政界に打って出た。
中央官庁には天下の秀才が集まっている
古川議員が率直に驚いたように、日本と米国(アングロサクソン諸国)では、官僚の「偉さ」が違う。日本では官僚が偉い。形式的には、選挙民が選ぶ国会議員など「政治家」が上位にあるが、「国家を運営しているのは自分たちだ」という自負心を高級官僚は伝統的にもっており、世間の人々も官僚を、敬意をもって見てきた。
官僚が偉そうに振る舞う理由は3つある。
1. 自分は学力競争社会の勝ち組だ、というプライド
2. 政治家を操り、国家の運営は自分たちがやっているという自負心
3. 統制による途上国型政策運営で国家建設が行われ、官僚に権限が集中していた
中央官庁には、「天下の秀才」が集まる(写真: 財務省)
つまり日本では官僚が統治者で、事業の認可や監督、予算配分など多岐に渡る権力を持っている。だから尊大に振る舞うのである。
ひと頃にくらべかなり緩和されてきたが日本は受験競争が厳しい。熱心な親は子供が小学生の頃から塾に通わせ、成績がいい子は特別な進学塾で成績の順位を競い合う。成績がいいことが人間として優位にある、と誤解する雰囲気が少年期から醸成されている。
優秀な子供は名門中学・高校へと進み、決勝戦は大学の入学試験だ。18歳の時の学力で、社会人としての大まかなコースが決まる。文化系の最難関は東大文科1類。ここは官僚養成を目的に造られた東大法学部への入り口だ。成績優秀で野心のある学生が国家公務員上級職を目指す。この試験が通れば、希望する官庁に就職できる。霞が関の省庁は天下の秀才が集まっている。誇り高く上昇志向の強い集団だ。