過去の経営者に遠慮しない「欧米流」
日本経済において、90年代に、バブル崩壊後の構造不況が長期間続いた最大の原因は、90%以上の大企業が時代にマッチしたビジネスモデルを構築できなかったからである。それは社員の不勉強・能力不足のせいもあるが、実際には、企業のトップが、ビジネスモデルを大転換すると、過去の経営の失敗を白日の下にさらし、自分を引き上げてくれた先輩の顔に泥を塗るような結果を招くことを慮って、経営改革に消極的であったことが大きな要因になっている。
欧米の先進国では、ある企業の経営者が経営に失敗した場合、主として社外取締役によって構成される取締役会が、社内外から有能な後継者を選び、新しいビジネスモデルを立ち上げて、経営を立て直すように要請することが圧倒的に多い。したがって、後継の経営者は過去の経営とはまったく無関係に行動できる。しかし、日本では、ある企業経営者が経営に失敗しても、彼が後継者を指名する権利を持ち続けている場合が多いので、後継者も過去のしがらみを排除した、新しい経営に乗り出すことは、非常に難しい。
その点、丹羽氏の行動は欧米流だった。彼が社長として打ち出した「A&P戦略」(生活消費、資源、金融、宇宙情報の4分野に経営資源を集中する)や「ISI戦略」(食料、繊維などの事業を川上から川下まで垂直的に行う)には過去の経営者に対する遠慮は見られない。それは99年10月に発表して世間を驚かせた3950億円にのぼる特別損失処理にも当てはまる。処理の対象になったのは過去の経営陣がつくったバブルであり、彼らは丹羽氏の大ナタに強く抵抗したはずである。
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この他に、丹羽氏の行動で特筆すべきことが二つある。まず、社内の風通しを良くしたこと。この点では、フランスのルノーから派遣されて日産自動車のCEOに就任し、同社を再建したカルロス・ゴーン氏と似ている。もう一つは人材育成に力を注いだことである。部課長向けの「経営塾」、中堅社員向けの「青山クラブ」を開設し、その塾長と校長は丹羽氏自身が務めている。さらに、「クリーン、オネスト、ビューテフルたれ」の行動目標を掲げて社員に意識改革を迫ったことは、コーポレートガヴァナンスの確立と人材養成の上で非常に効果があったと思われる。