天使に扮したヒゲのおじさんが東京大「五月祭」のポスターに登場して、『世間はうるさい。だから、原点』とやったことがある。行動する経済学者、宇沢弘文氏だった。先月(2014年10月)、86歳で亡くなった。その原点がいま注目されている。
「一人一人の生き方をまっとうさせるのが経済学の原点です」
彼が提唱した「社会的共通資本」は資本主義でも社会主義でもない概念である。09年のNHKのインタビューでこう語っていた。「経済の原点は人間。その人間の心を大事に、一人一人の生き方をまっとうさせるのが経済学の原点です」と、経済効率優先の市場原理主義(新自由主義)を対極に置く。「市場取引は人間の営みのほんの一部でしかない。人間らしく生きることが可能になるような制度を考える。それが経済学者の役割です」
医療、教育、自然、道路・交通、水道・電気などを人々が共同で守る財産と考え、利潤追求の対象にせず市場競争から外す。そのうえで企業の競争があるべきだという。わかりにくい。だいいちそんなことが可能か。
経済評論家の内橋克人氏は「彼はやさしく、また厳しかった」という。自然災害の被災者から権力、経済、政治で被害を受けた人たちにまでやさしく寄り添った。そのために現場を走り回り、逆に被害を与えた側には厳しかった。
弔問に集まった教え子たちは社会の第一線の人材ばかりだった。「彼の研究は時代を先取りしていた。社会の病を治す医者。そのための処方箋まで書いていた」(神野直彦・東大名誉教授)。環境省のOBは「(現役時代に)環境の悪化を止められなかった。先生の意志を継ぎ、少しでも貢献して死んでいきたい」と話す。
内橋氏は「(医者のたとえで)彼は臨床(現場)と基礎(学究)の間を往来して制度を考えた。社会を転換しないといけないから」という。
効率最優先の市場原理主義(新自由主義)を痛烈批判
宇沢経済学の原点は河上肇の「貧乏物語」だ。イギリス資本主義が生んだ深刻な格差と貧困を描いていた。彼は進路を数学から経済に変える。1956年に渡米し、数理経済理論で36歳でシカゴ大の教授になった。ここで彼は市場原理主義とぶつかる。新自由主義者のミルトン・フリードマン教授と「格差」をめぐって激しい論戦を繰り広げた。だが、格差をいう人はだれもいなかった。アメリカ社会がすでに効率優先だったからだ。
宇沢は日本へ帰り東大教授になった。その日本も経済成長が必ずしも幸せな暮らしにつながっていなかった。74年、「自動車の社会的費用」を書いて警鐘を鳴らす。豊かさの象徴のはずが、事故や大気汚染で新たな不安を生んでいた。経済開発のひずみはさらに広がり、公害や開発の現場を歩いた。「社会的共通資本」はそうして生まれた。
いま、その芽は各地で育ちつつある。宇沢理論による町づくりを模索している岡部明子・千葉大教授は、千葉・館山市の築100年の古民家の再生を学生とやった。すると学生と住民の交流が始まり、課題を話し合うようになった。いまでは地域の外からも人が集まる。「経済原理に見放された家が地域を育む共有財産になりうる」と岡部教授はいう。
津波にやられた宮城・東松島で、移転する小学校の設計をしている風見正三・宮城大教授は6年前まで大手建築会社で大型商業施設開発をやっていた。しかし、開発に伴ってさびれていく地元を見て疑問を感じていた。宇沢理論を知って会社を辞めて研究者になった。
住む人の利益になる開発とは何か。「できるだけ多くの人を抱き込む。話し合いを重ね、市民が主体で町を作っていくことが宇沢イズムの実現になると思います」という。小学校建設でもそうだ。遊び場作りで大人から子どもまでが汗を流した。
なるほど、宇沢イズムもこう聞くとわかりやすい。にしても、何とささやかな歩みだろう。まだ制度にもなっていない。「社会の転換」はさらにその先だ。
ヤンヤン
*NHKクローズアップ現代(2014年10月30日放送「人間のための経済学 宇沢弘文 格差・貧困への処方箋」)