「大沢樹生の長男」実の父親で名前があがる奥田瑛二と石田純一!事務所は「まったく事実無根」

全国の工務店を掲載し、最も多くの地域密着型工務店を紹介しています

喜多嶋舞「付き合っていた時期が妊娠時期と違います」

<喜多嶋さんと結婚して3年ほど経った頃のこと。深夜、仕事を終えた彼女がひどく泥酔して帰宅したことがあったそうです。大沢さん(樹生=筆者注)が介抱していると、彼女は泣きじゃくりながら、こう話し出したのです。「奥田瑛二さんがね、『君が産んだ子は、俺の子じゃないのか』と言うの」と>

   元光GENJIのリーダーとして一世を風靡した俳優・歌手の大沢樹生(44)が、喜多嶋舞(41)との間にできた息子(16)のDNA鑑定をし、「父子確率は0%」だという結果が出たという『週刊女性』の報道は、世の夫婦に衝撃を与えた。

   大沢と喜多嶋は1996年にできちゃった婚している。だが9年後に離婚し、大沢は15歳年下の元モデルと再婚したが子供はいないようだ。

   息子の親権は大沢が持ち大切に育ててきたが、彼はずっとこの子は俺の子ではないのではないかという疑いを持っていたというのである。それは冒頭で紹介した2人をよく知る関係者が語った「ある夜の出来事」があったからだと『週刊新潮』が報じている。

   意を決してDNA鑑定をし、親子ではないとわかって大沢は7月(2013年)に「親子関係の不存在」の確認を求める調停を東京家裁に申し立てている。大沢は息子が自分の子でないとわかっても愛情に変化はないと、メディアに答えている。

   では、この子の本当の「父親」は誰なのか。喜多嶋は沈黙したままなので週刊新潮は父親探しを買って出る。名前が出た俳優・奥田瑛二はどうなのか。奥田のマネージャーが、事実無根でどうして喜多嶋が自分の名前を出したのか見当がつかないと、奥田は当惑していると答えている。先の関係者が、大沢の弁護士が「奥田さんの子供ですか」と聞いたところ、喜多嶋は「付き合っていた時期が(妊娠した時期と)違います」と答え、そのまま俯いてしまったという。

   週刊新潮はそこで、あの男に注目する。「不倫は文化」という迷言を吐いた石田純一(59)だ。大沢と喜多嶋が結婚した96年当時、「この年の2月に、石田がホスト役を務めていた日テレのトーク番組に喜多嶋がゲスト出演したことがキッカケで、2人の交際が始まりました」と女性誌記者が語っている。では、石田は何と答えるのか。当然ながら「喜多嶋さんと交際していた事実を全くありません」と否定している。

   しかし、96年4月に2人が南青山のサパークラブでデートする姿がメディアに報じられている。当時取材に当たった芸能記者がこう話す。<「深夜、この店で石田と喜多嶋が頬寄せ合って、楽しそうに酒を飲んでる姿が頻繁に目撃されていた」>

   子供が生まれた時期から計算すると、喜多嶋が大沢以外の男性と関係を結んだのは96年3月頃となり、石田との交際はまさにこの時期と重なると、週刊新潮は書いている。さてこの騒動、どういう結末を迎えるのだろうか。

元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

姉妹サイト