「これは驚いたね。いまイチローも大リーグも来てるのに、スポーツ新聞は全部これが トップだった」と司会の小倉智昭がいう。きのう25日(2012年3月)に「さいたまスーパーアリーナ」で行われたコンサートが終わったところで、AKB48のトップ、前田敦子(20)が突然「卒業」を宣言したのだ。
相談受けてたのは高橋みなみら少数
「私は14歳の時にAKBのオーディションを受けました。そして、初期メンバーとして加入させていただきました。オーディションは人生で初めての大きな決断でした。そして今日ここで」と一息ついて、「2回目の大きな決断をさせてください」
胸をさする。涙が光る。「私、前田敦子はAKB48を卒業します」と叫ぶように言って、深々と頭を下げた。何がなんだかわからない。後ろのメンバーが目を見開いて前田を見ている。知っていたのか、高橋みなみ(20) が「皆さんの暖かい声がきっと彼女の背中を押してくれます。私たちも全力で」と前田を振り向いて、これも涙。「がんばりたいと思います」
2005年のスタート。09年の第1回選抜総選挙で1位。翌年は2位、次がまた1位と、AKB48のフロントライ ンを守ってきた。6月に次の総選挙だ。それがなぜ突然の卒業なのか。前田はこういった。
「東京ドーム(公演)の発表があって、14歳の頃からの夢がかなったととても感動しました。20歳の夢に向かって歩き出さなければと、あらためて思うことができました」
つまりは20歳の決断だと言う。
AKB48の仕掛人、秋元康は新聞に「前田が決めたことなので応援します。14歳からセンターの重圧に耐えてきたわけですから、今は『よく頑張った。お疲れさま』と言ってあげたい。相談は受けましたが、自分で決めなさいといいました」とコメントしている。知っていたのはごく少数だったらしい。
田中大貴アナが「何度もAKB48の取材には行きましたし、きのうスポルトの直前にこれを知って、正直、動揺しながらのオンエアだった」と前置きして、「メンバーのほとんどがその場で知った。高橋みなみさんも相談は受けていたけれども、という話でした」