民間有識者による「福島原発事故独立検証委員会」(民間事故調)の報告書によって、福島第1原発事故発生直後の混乱ぶりが浮き彫りになったが、米国政府からの支援申し出を日本側が断った経緯も明らかになった。支援受け入れがもっと早ければ被害の拡大を防げていたかもしれない。遅れた原因は何か。米国の対応を調査するため、一橋大大学院の秋山信将准教授がワシントンを訪れ、エネルギー省や国家安全保障会議などで当時、意思決定に関わった20人に聴取を行った。
「十分な国内業者確保してる」「面倒なこと勘弁して欲しい」
就寝中のオバマ大統領に事故の第1報が伝えられたのは3月11日未明だった。自国民の保護を最優先とする米国は、原発(1号機)が米国製だったことを重視し、直ちにNRC(米原子力規制委員会)とエネルギー省は日本の原子力安全・保安院や東電に接触し、事故の詳細を把握しようとした。NRCの幹部によると、「あらゆる手段で日本からの情報を入手しようとしたが、ニュース報道以上の情報は得られなかった」という。この時点では、米国民の避難は日本政府の対応を尊重する方針だったという。
NRCはさらに日本側に接触を試み、翌12日に日本側に支援申し出を行ったが、返ってきたメールは、政府からではなく、原子力安全を所管する独立行政法人の幹部からのもので、「私たちは事故の状況をよく理解しています。支援はありがたいですが、すでに十分な業者を国内で確保しています」というものだった。外務省の幹部は日本側の当時の内情を振り返って次のように言う。
「原子力関係者は外国からの支援の受け入れに二の足を踏んでいた。受け入れ準備に手間がかかることが予想され、面倒なことは勘弁してほしいということでした」
不信感募らせたオバマ大統領「米国民避難を最優先しろ」
ところが、12日に1号機で水素爆発が発生。他の原子炉でも水素爆発が次々と起きた。危機感を募らせた米国は方針を一変させ、最悪事態を想定した独自の対策を決めた。日本政府が当時出していた原発20キロ圏内の避難ではなく、50マイル(80キロ)を避難対象とし、そこに住むアメリカ人に対し避難勧告を出すというものだ。
国谷裕子キャスター「情報の共有がここまでうまくいかなかった原因は何ですか」
秋山准教授「最大の問題は、お互いに誤解をしていた点があったと思う。アメリカ側は日本政府に情報がないことを分かっていなかった。日本側はなぜ米国が情報を収集しているのか思いが及ばず、相互不信がスパイラルにいたったのだと思う」
国谷「それにしても政府は、支援の受け入れになぜ消極的だったのでしょうかね」
秋山准教授「確かに能力とか知識はあったのかもしれません。しかし、誰も経験したことのない事態の中でそれをどのタイミングで使うか、知見のあるところから支援を仰ぐべきだった。国際社会のインパクトを考え、事故を過小に見せたいという思いもあったのかもしれません」
確かなことは、危険な原発を運転する東電にも監督する保安院にも、原発の耐震性に過剰に依存し、巨大地震を想定した物質的、精神的な備えが全くなかったこと。それが政府中枢にも伝わっていて、右往左往の対応となったのだろう。
モンブラン
*NHKクローズアップ現代(2012年2月29日放送「『原発情報』クライシス~日本は何を問われたのか~」