全く突然に、お笑いの島田紳助(55)が引退した。きのう23日夜(2011年8月)の会見で、暴力団関係者との「親密なメールのやりとり」というのも変な話だが、本人は「(引退という)いちばん重い罪を自分に着せた」ということで、芸能活動をやめることになった。しかし、レギュラー6本という売れっ子だ。いったい何があったのか。
吉本興業に突きつけられた「ノー」
十数年前にトラブルで悩んでいたとき、20代からつきあいのあるAさんが電話してきて話をした。すると、Bさんに頼んでトラブルは解決した。「感謝した。人としてありがたいと思った」が、先方も「会ってはいかん」といい、この間に直接会ったのは4、5回だという。メールはすべてAさん経由。
その古いメールの文面が今月半ば、吉本興業へ持ち込まれた。会社が直接本人に確かめたのが21日。その場で紳助は「引退」を口にしたという。
紳助といえば、言葉のキレだ。この日の会見でもそれは冴えた。
「ボクはセーフだと思っていた。でも吉本から、モラルとしてあってはいけないことといわれ、アウトだとわかった。その場で引退しますといった」
「何もいわなかったら、謹慎だったと思う。でも、吉本の後輩は700人もいる。しめしがつかんでしょう。ボクにとっては『この程度』だった。が、『この程度』でも引退なんだと、若い人が過ちを犯さないように。弁解ではなく、ボクのルールと考えが間違っていた」
「前もって教えたのはダウンタウンの松本だけ。18で吉本に入って、21でデビューして、29で漫才やめたのは、ダウンタウンを見たからだった。あ、紳竜漫才は終わったと。だから、ヤツにだけは知らせた」
「めちゃめちゃ無様な終わり方ですよ。最低の終わり方。でも自分の美学を通させてください」
「若い人が育ってくれたのがうれしい。いろんな人に会えたのが財産」
最後はハンカチで涙をぬぐう。いろんなことがあった。2004年には女性マネージャーにケガを負わせて自宅謹慎になった。そのときにも、Aさんを通してBさんから励ましがあった。「2人がついていてくれるからボクは心強い。ありがとう。その言葉を胸に生きていきます」とメールしたという。そういう関係だった。
文
ヤンヤン| 似顔絵 池田マコト