東日本大震災のとき、誰もが家族の安否を確かめたい、会社に連絡をと思った。が、電話も携帯電話もメールもつながらない、ネットもやがてつながらなくなった。あの3月11日(2011年)、何が起きたのか。
東松島の避難所「あのとき救助要請が届いていれば…」
宮城県東松島市の市営野球場に30人が避難していた。午後4時、津波が押し寄せる様を、大学生の高橋良さんは携帯で映像に撮ったが、周囲が水没したため孤立してしまった。救助の要請や安否を伝えようとしたが、携帯はつながらない。
午後5時にネットのツイッターに書き込んだ。
「東松島市営球場で動きがとれない」
それも間もなくアウト。小雪が舞う寒さの中、80歳の女性が動けなくなった。消防が救助にきたのは地震発生から12時間後だった。女性はすでに亡くなっていた。
亡くなった女性の娘の梶原とし子さんは、「あのとき携帯がつながっていたら」という思いがいまも頭を離れない。
「緊急時に役に立たなければ、携帯じゃない」
つながらなかった理由は2つ。通常の60倍もの通話が殺到し、電話会社は交換機を守るため一般通話の90%をカットした。交換機がダウンすると、災害用の通話まで不通になってしまうからだ。もうひとつは、電波を受ける基地局が停電のため機能を停止してしまった。高橋さんの電波を受ける基地局は5つあった。うち3つは津波でやられ、残る2つも非常用のバッテリーが切れ、午後7時には機能が止まった。バッテリーは3、4時間で補修が来るという設定だった。
通信業界はいま緊急時対策に動いている。NTTドコモは約100億円をかけて非常用バッテリーを24時間もつように改善している。情報通信機構などは通話時間を制限する研究を始めている。
電波は有限だから、1人が回線を長時間使うと、その間、他の人は使えない。それを強制的に遮断することで使える人を増やそうというのだ。「30秒で遮断」のシミュレーションをしたところ、都心でもわずか数分で通話不能地域が減ることがわかったという。