福島原発の2、3号機の炉心メルトダウンを、東電は事故から70日以上も経ったきのう(2011年5月24日)ようやく認めた。なぜこんなに遅くなったのか。意図的な隠蔽なのか、本当にわからなかったのか、いまもよくわからない。
正直に話したから消えた「中村審議官」
政府は事故後1か月以上経った4月半ばにも、冷却が進めばメルトダウンにはならないとしていた(枝野官房長官)が、実は「メルトダウン」という言葉は、3月12日の時点で、原子力安全・ 保安院の中村幸一郎審議官が会見で使っていた。ところが、中村審議官は翌日から会見から姿を消し、おなじみの西山英彦審議官に代わった。この問題は国会でも「隠蔽したのではないか」と追及されたが、海江田経産相は「正しいことを言った人を更迭するなどありえない」と否定。当の東京電力はメルトダウンの公表が遅れた理由を「注水に集中していたため」としている。
スタジオの高木直行東海大教授が解説した。2008年まで東電の安全管理部にいた人で、「1度にたくさんの情報を出してパニックになるのを懸念したのか、そのあたりはよくわからない」という。
司会の羽鳥慎一と神田瀧夢(コメディアン)が「意図的なのか」と聞いたが、「わからない」とはっきりしない。
東ちづる(女優)「言い訳めいている。パニックにならないような説明の仕方はあるはずで、われわれはそんなにバカじゃない」と憤懣やるかたなしといった表情だ。
東電が嫌った「メルトダウン」という言葉
話題はメルトダウンは「地震のせいなのか、津波のせいなのか」に移る。高木教授は「水がなくなると2時間くらいでメルトダウンすることはわかっていた。また、あれだけの津波の規模だと、こうなる可能性があることは専門家ならわかっていたはず。そのような研究レポートもあります。にもかかわらず、ここまで発表が遅くなった理由はわからない。
ただ、炉心を冷やさないといけない段階では、燃料溶融が100%なのか、20%なのかはたいした差ではないので、公表が遅れたのかも知れない」と話す。公表が遅れた真相はおそらくそのあたりなのだろう。
東電が「メルトダウン」という言葉を嫌ったことは確かだ。「チャイナシンドローム」と混同されるのを嫌がったのだろうが、東が言うとおり、国民はそんなにバカじゃない。
専門家にしたところで、この事態を経験した人なんかいないのだから、妙にわかったようなつもりでいると、赤っ恥をかくことにもなる。