11月11日(2010年)に慶應大学で特別講義をした。テーマは「新聞と雑誌ジャ-ナリズムの違い」について。違いをひと言でいえば、新聞は客観報道(あくまでも建前だが)、雑誌は主観報道である。
雑誌、なかでも週刊誌がこれまで果たしてきた役割と、最後に、既存のメディアが衰退してきているのは、情報提供側の既存メディアへの不信感の高まりと、情報の流れが変わってきたからだという話をした。
不信感とは、メディアが権力側と癒着していて、内部告発情報を持ち込んでも、取り上げる前に向こうへご注進してしまうのではないかということも含めてである。
情報の流れの変化とは、少し前々までは、新聞で書けない情報は、記者から付き合いのある週刊誌に伝えられ、週刊誌でも書けないものは『噂の真相』などの独立系の雑誌へ流れる「受け皿」があった。だが、『噂の真相』も休刊し、週刊誌もかつてのようなやんちゃさは影を潜め、新聞は検察報道に見られるように、以前よりも権力寄りの傾向が強まり、内部告発しようと考えている人間にとって、信頼できるメディアではなくなってきているのだ。
その典型例が、今回の沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突をめぐるビデオ映像が「YouTube」に流出したことだろう。ビデオをネットカフェから流したと話している神戸海上保安部の男性海上保安官(43)に、内部告発してやろうという明確な意識があったのか、また、このビデオが「国家機密」にあたるのかどうか不明な点は多いが、どうやら単独でやったようである。
ネットが普及する前なら、こうした情報は、まず新聞社やテレビ局に持ち込まれるか、さもなくば週刊誌などであったはずだ。だが今は、これらを素通りして直接ネットにアップロードすれば、世界中の人に知らせることができる。
小沢一郎氏は「ニコニコ動画」のインタビューで、政治資金問題をめぐる国会招致を拒否すると明言し、新聞・テレビがこれを追いかけた。
高みの見物で権力者批判だけじゃ明日はない
警視庁外事の機密資料が大量にネットに流失した件は、麻生幾氏(週刊文春)によれば、Xという外事3課にいる人間が意図的に流したと推理しているが、そうだとしたら国家の信用が失墜する大事件である。
元ハッカーが運営する『ウィキリークス』という内部告発サイトは、アメリカのイラク戦争の秘密文書を大量にすっぱ抜いて、世界中をアッといわせた。
『Google』が東京地検の求めに応じてIPアドレスを提供してしまったことに危うさも感じるが、国家を揺るがしかねない重大情報は、既存メディアには入ってこない流れになってきているのだ。これこそがメディアの危機の本質であるのに、そうした危機感を抱いていると思われる論調はほとんど見られない。
今週の週刊誌はどれもこれも、菅・仙谷外交への罵詈雑言が並んでいる。「やっぱりド素人に外交は無理だって!」(週刊ポスト)、「菅外交が日本を滅ぼす」(週刊朝日)、「なんてマヌケな外交 歴史に残る大敗北」(週刊現代)「菅と仙谷『官邸外交』もういいかげんにせんかい」(週刊文春)
そのうえ、文春・新潮がビデオ流失犯を推測しているが、発売されたときに犯人は「自首」している。
速さはもちろんこと、重大情報もネット発信が主流になったとき、既存メディアは何を武器に生き残るのだろうか。自分は高みの見物で、権力者を批判していれば事足れりというのでは、既存メディアに明日はない。
かつてテレビが力を持ってきたとき、たしか『ニューヨークタイムズ』だったと思うが、「新聞は遅いが正確」と主張して生き残った。今後、ネットメディアにジャーナリズムが定着してきたとき、新聞、週刊誌のレゾンデートルは何になるのだろうか。