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<精神>『精神』は、想田和弘監督自身が銘打っている「観察映画」の『選挙』に次ぐドキュメンタリー第2弾作品。ミロス・フォアマン監督の『カッコーの巣の上で』、ロバート・ロッセン監督の『リリス』、松尾スズキ監督の『クワイエットルームにようこそ』など、精神の病や、その患者を題材とした映画はあるが、『精神』に登場する人物は実在する「こらーる岡山」という「精神科診療所」の患者である。さらに、患者の顔に、モザイクをかけないというのは、日本では初の試みになるという。
「観察」というだけあり、音響やナレーションは一切使われておらず、監督自らが撮影したカメラは、患者たちの行動や言葉を細部まで拾い、集め続けていく。患者の中には、カメラに向かい、まるでこの時を待っていたように、心を解放するように話す者もいる。その「観察」から、想田監督の意図が静かに浮き彫りになっていく。
モザイクをかけないということは、患者や、その周辺の人物に迷惑をかけたり、傷つけたりすることもあるだろう。だが、モザイクをかけ、被写体をぼやかしてしまうということは、精神科の患者という弱者を室内に隔離するということと、ある種似ている。さらに、モザイクというものは見られる側の人権を守るものではなく、見せる側を社会から守るものなのかもしれない。
画面に映るもの、それは想田監督の主観であり、経験である。監督自身が迷っていることがよく分かる。何十、何百時間の撮影の中から、導き出された135分の作品なのだろう。監督の苦難と葛藤は、作品の中にモヤモヤしたものを残し、何も解決はしない(撮影終了後に、出演者の内の3人が亡くなっており、内2人は自ら命を絶っている)。存在するのは、患者たちを真正面から捉え続け、言葉にならないメッセージを観客に託していることだけである。
そして「こらーる岡山」の山本医師の、病気というよりも「人間を診察している」姿が忘れられない。監督が最も伝えたいものとは、現代において機械的になってしまった人間のコミュニケーションの在り方に対しての訴えなのかもしれない。
10万円という給料にもかかわらず、患者の自主性を尊重する治療方法を貫く山本医師を見ていると、相手の傷を癒すことが、自分の傷を癒していくという、人間と人間の関わりの大事な部分を教えられる。そして、このような医師の存在こそがこの作品の何よりもの救いなのだ。<テレビウォッチ>
川端龍介
オススメ度:☆☆☆☆