<テレビウォッチ> なつかしや、初代新幹線の「0(ゼロ)系」。これがあと2日で運行が終わるという。44年前だそうだ。上りの一番列車が岐阜県内の名神高速道路を横切るところをヘリから撮るというので、大騒ぎしていたのは……東京オリンピックの直前だった。
みのもんたが、「スタジオですごいことが起こりますから……」と予告して、「0型狂騒曲」が始まった。いま運行しているのは、山陽新幹線だけ。その各地で、カメラ小僧ならぬカメラおやじたちが、ホームで待ちかまえる。
岡山から乗り込んだ40人の団体は、わざわざ東京から来たツアーだ。「あのときは」ああだった、こうだったと口々に思い出を語る。50-60代には、青春時代そのものなのだ。
鉄道ライターの種村直樹(72)は、2人の娘さんを「ひかり」「こだま」と名付け、次女こだまさんは、娘に「のぞみ」と名付けた。「時速200キロは世界一。これで日本も一人前だと誇らしかった」
マザー・テレサが感心して持ち帰ったという紙コップ。これを考案した丸ノ内紙工(株)の荻野寿相談役(80)が、思い出を語る。「切り口が切ってあるのは、鼻がぶつからないため」。あそうか、と納得。反対で飲んでたかな? 「車掌さんがおつり入れに使う。器用な人は、ウイスキーを入れて立てていた」。なるほど。
ビデオが終わって、「朝ズバッ!がいかに予算をもってるか」とみの。「これができるのは朝ズバッ!だけでしょうね」とカメラがパンすると、実物大の「0系」の正面パネル。
高さ3.9メートル、幅3.3メートル。前に立つみのが小さく見える。「こんなにでかいの? いつもホームから見てるからね」
浅野史郎が、「44年経っても新幹線というのがすごい。日本新党も新党さきがけもなくなったでしょう(笑い)。いまだに新幹線。大きな事故もないし、時間もぴったり」
みのが「44年経っても新幹線ねぇ。吉川さんみたいですねぇ」。
吉川美代子が大笑い。杉尾秀哉が、「ついていけなかった」(笑い)
最後の定期運行は、11月30日14:51岡山発博多行き「こだま659」が最後。別に12月14日に、14:56新大阪発博多行き「ひかり347」が「さよなら運転」となる。指定席は売り切れで、自由席に殺到となりそうだという。
山陽各駅では、復刻版の駅弁も人気だそうだ。大阪・交通科学博物館は1月12日までの特別企画展。まだまだ「狂騒曲」は続きそうだ。