北京五輪でメダルなしで終わった星野ジャパンへ厳しい批判が寄せられている。
この欄では、予選を通過した直後に「星野ジャパン 『気迫』に『?』マークだ」(2008年8月20日)で気の抜けたプレーに文句をつけていた。星野監督が大会前にCMやテレビに出まくって「商業主義のにおいがプンプンして鼻についていた」ので、選手がしらけてしまったのでは、と書いた。
やっぱりというか残念ながらというか、準決勝でも3位決定戦でもあえなく敗戦してしまった。練習に選手が半分しか集らなかったとか、選手村に入らず5つ星ホテルで「特別扱い」されてた、とされている。プロ野球の現役監督からも選手起用法などでチクチク嫌味も言われている。
確かに、あれだけ声高に金メダル、金メダルといいながら、前回並みの銅すら取れなかったのは不甲斐ない。事前の大言壮語とあまりに実態がかけ離れていた。結果は大事なので批判もされるだろう。
しかし、勝負は本来時の運、という側面もある。では、星野ジャパンの敗戦は致し方ないことなのか。とんでもない。今回の星野ジャパンの罪は単に負けた、というレベルではない。やる気、気迫に欠けたプレーを見せ付けられて、はなはだ気分が悪かった。決勝戦でキューバは韓国に敗れた。しかし、それなりに「死闘」といえるほどのぶつかり合いだった。星野ジャパンにはそうした気迫が決定的に欠けていた。
3位決定戦の前々日には、女子ソフトが上野投手の力投などの「死闘」を繰り広げ、清々しいところを見せてくれていた。一生懸命に打ち込んでいるのが伝わってきた。結果的に仮に彼女たちが負けたとして、そこまで激しい批判が起きただろうか。いや、起きなかっただろう。それだけ懸命にやっていたからだ。
ひるがえって星野ジャパンの戦いぶりは、せっかく女子ソフトで良くなっていた気分を台無しにしてくれた。試合に負けたというよりチーム作りに失敗していたということだ。