<テレビウォッチ> だれもが「日本のエース」と信じて疑わなかった鈴木桂治が破れた。柔道100キロ級、アテネに次ぐ2冠をかけての、それも初戦である。
相手はモンゴルのツブシンバヤル。1分26秒、いきなり両手で足を抱えあげられ、そのまま倒れ込んでの一本。ワザは「もろ手刈り」というのだそうだ。ツブシンバヤルはそのまま勝ち上がって、チャンピオンになった。
鈴木は気落ちしたのだろう、敗者復活戦でも、横落としの一本負け。顔を覆ったまま控え室に消えた。1時間後カメラの前で、「完璧な出来上がりだったので、それだけ自分の弱さが出たんじゃないか。情けないのと恥ずかしさで、申し訳なくて」。
そして「金メダルとるつもりでいた。口だけの野郎だと思われたくないが、結果がすべて」「今はもう何も残ってないです。悔しくて、次がんばってやろうという気もない。弱いから負けた。もう1回強くなろうという気がない」といった。新聞には「引退」の字が踊る。
スポーツジャーナリストの長田渚左が、「漢字の柔道とローマ字のJUDOの違い。既定の範囲ならなんでもいいだろう、足を取って背中をつければいいと。日本人が思うものと違う解釈がどんどん拡がってきている」といった。
そこで闘うには、日本選手もそうならざるをえない、ということか。
小木逸平が、「連覇できなかった人たちは、みな1回燃え尽きている。それを乗り越えられたかどうかでは」といって、何人かの名前を出した。
長田は、「例えば北島は絶対に練習を休んでない。必ず満足しますからね。(鈴木も)自信もってたと思いますけど、思わぬ柔道する人が出てきた」
大谷昭宏が、「だれも口だけなんて思ってやしない。ここまでがんばった訳だし」
だが、あれが柔道か? という疑問は残る。あれは力任せのタックル、モンゴル相撲そのものではないのか。それでなくても、選手達が差し手を争ってどつきあい、力まかせが当たり前。ああした姿は、美しくない。それならレスリングでやればいい。
きのうの朝日新聞の「声」欄に、「中学生の大会の方がずっときれいだ」という主旨の投書が載っていた。その通りだ。この五輪の柔道は美しくない。