なぜ「第九」が12月の日本を代表するクラシック音楽になったのか(後編)

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   海外から風習や行事や習慣を取り入れて、日本独自のものにする、または独自に発展する、というのは、極東の島国にとって、まさにお家芸です。古くは、隣の大陸や半島からやってきた、文字や、社会制度や、宗教を日本独自のものに変え、日本文化を形作ってきました。長い江戸期の鎖国から解けた明治文明開化時期には、主に西欧からいろいろなものを取り入れました。近年、鉄道技術などの産業製品は、本家イギリスを追い越して、輸出されるようになったりしています。最近ドイツでも、年末に「第九」が演奏されることが多くなっているといいますから、これもひょっとしたら、逆輸出(?)かもしれません。

  • 日本語版の「第九」楽譜のトビラ部分
    日本語版の「第九」楽譜のトビラ部分
  • 有名な「喜びの歌」部分の楽譜
    有名な「喜びの歌」部分の楽譜
  • 日本語版の「第九」楽譜のトビラ部分
  • 有名な「喜びの歌」部分の楽譜

演奏に大編成必要で演目から長らく除外

   ベートーヴェンが、封建的な旧体制から、今日ほどではなくても、共和的、民主的世の中にヨーロッパが変わってゆく時期に活躍し、本人も、宮廷の従属技術者、から、一般民衆に支持される芸術家であろうとした、ということを先週書きましたが、作曲家がそうならば、演奏家は、どうだったのでしょうか?

   実は、1人でできる作曲家より、事態は複雑だったのです。

   宮廷が、オーケストラなどの演奏団体をほぼ独占している時代、一般市民社会に「プロのオーケストラ」などはもちろん、存在しませんでした。日曜演奏家や、教会の合奏団はいましたが、ベートーヴェンの「第九」のような、当時としては大編成のオーケストラに、かなりの人数の合唱団が必要な曲を演奏できる演奏団体なぞ、どこを見渡しても存在しませんでした。「第九」が、初演後、長らく再演されなかった理由です。初演の時も、合唱団員はほとんどアマチュアだったともいいますし、この大規模作品を歌えるプロの合唱団が見当たらない、という理由で、せっかくの第4楽章を省いて、第3楽章まで演奏されることもありました。

   話が変わりますが、私の母校、パリ国立高等音楽院は、「コンセルヴァトワール」と呼ばれます。直訳すれば、「保存する学校」。どういう意味かというと、市民革命を起こして、王家をほとんど処刑してしまったフランスが、王家が保持していた音楽の伝統だけはいいものだから残そう、ということで、設立された学校なのです。政治体制は一新しても、芸術は、「保存する学校」で教育を行って、伝統を絶やさないようにしよう...血なまぐさい革命の中にあっても、芸術保存を考える人は存在したのです。

芸術の裾野広がり、スケールメリットに注目

   そして、このパリ国立高等音楽院の卒業生で編成された、「パリ音楽院管弦楽団」は、世界最古の現代的編成のオーケストラだといわれています。そして、彼らが「第九」を演奏したときに、地元フランス出身のベルリオーズと、当時ドイツからやってきて不遇をかこっていたワグナーが聴いていた、とも伝わっています。深く影響された二人は、一方はより物語性の強い「幻想交響曲」を書き、もう一人は、オペラや交響曲を進化させた「楽劇」を作り出すことになります。ちなみに、その時の「第九」の演奏も、どうやら完全なものではなかったらしいのですが。

   ともあれ、大オーケストラに4人のソリスト歌手、それに大合唱団が演奏に必要なこの曲は、市民によるプロ演奏団体、が育ってくるまでは、まともに演奏されなかったのです。

   しかし、そうやって、演奏者が整ってくると、「参加人数が多い」ということが、また一つのメリットを生みます。関係者が多いため、お客がたくさん呼べるのです。

   現在のパリ市においても、パリの幼年学校・社会人学校のコンセルヴァトワールこと、「区立音楽学院」などでは、学院としての定期発表会のプログラムに、必ず、子供の合唱が入ります。在校生の他に、少なくとも、そのご父兄は呼べるので、演奏の腕前はプロ級...とはまだいかないのですが、会場はビデオをまわす大人達で大入り満員となるのです。

日本では年越しの雰囲気にマッチ

   日本の戦後も事情は同じでした。まだ全国民の生活が苦しい時代、オーケストラも、懐事情は、今以上に厳しい、でも、歳末のボーナスぐらいは出したい...となると、少しでもお客様を呼べる演目を演奏しよう...そうだ、合唱の入る「第九」を演奏しよう!という背景があったようです。日本では特に「運命」や「英雄」や「皇帝」でも人気の高いベートーヴェンの最後の「合唱付き」交響曲ですから、「今年も終わりだ!」という歳末の雰囲気にもマッチし、かつ、合唱団関係者によって、お客は倍増...ということが繰り返され、今の「年末は第九」という雰囲気が出来上がった...これが真相のようです。

   今や、「年末に第九」が定着しているので、私は、時期にかかわらず、第九を聴くだけで年の瀬の気分になってしまいます。

本田聖嗣

本田聖嗣プロフィール

私立麻布中学・高校卒業後、東京藝術大学器楽科ピアノ専攻を卒業。在学中にパリ国立高等音楽院ピアノ科に合格、ピアノ科・室内楽科の両方でフプルミエ・プリを受賞して卒業し、フランス高等音楽家資格を取得。仏・伊などの数々の国際ピアノコンクールにおいて幾多の賞を受賞し、フランス及び東京を中心にソロ・室内楽の両面で活動を開始する。オクタヴィアレコードより発売した2枚目のCDは「レコード芸術」誌にて準特選盤を獲得。演奏活動以外でも、ドラマ・映画などの音楽の作曲・演奏を担当したり、NHK-FM「リサイタル・ノヴァ」や、インターネットクラシックラジオ「OTTAVA」のプレゼンターを務めるほか、テレビにも多数出演している。日本演奏連盟会員。

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