原研哉さんにはこのところ装幀でお世話になっている。「デザインのたくらみ」「デザインの深読み」ともに原さんにお願いした。期せずしてどちらもほとんど白い。原さんの近著「白」も同じ質の白を使ったもの。こちらは白と墨色だけ。そして3冊ともデザイン学校ではやってはいけないと言われるようなズレがデザイン要素に持ち込まれ、まるで龍安寺の庭を見ているようだ。
学校では教えない「非常識」の美
原さんの個性的な装幀で書籍は不思議な輝きを放つ
ご自身の本では、もちろん言いたいのが「白」だから他の色なし。しかし正面から見るとタイトルが欠けている。僕の本では逆に表紙に背表紙から妙なはみ出しがある。こんなレイアウトを教える学校はないと思うけれど、眺めつつ、確かにそこがいい塩梅だね、と感じる。それが原さんの仕事だ。
今回の展覧会のタイトルは「白」原研哉展。近著「白」と重なっているのだろうと推察しつつ、会場に伺った。
ギンザ・グラフィック・ギャラリーは1階と地下1階で構成されている。ドアを開けるところからもう白ばかり。そして文字も墨色または灰色。ポスター、著書、そしてその奥まで白と黒と銀の世界。銀もまた自分の色を持たない仲間なのだ。ここまで徹底することで見えてくるのは白のニュアンス。触らないとわからないと著書に書いておきながら、「作品にはお手を触れないでください」の札。知ってますよね、と見る人をケムに巻くうまさ。
ギャラリーはまさに白と黒と銀の世界
異次元に舞い込んだような感覚も〔(C)Mitsumasa Fujitsuka〕
「白」を読んだ上で見ると原さんのこだわるところがよくわかる。原さんは別に白を好む人でもなく、デザイナーは黒を着るべきだと決め込む人でもない。自然に普段の仕事では様々な色を使っている。病院のサインではきちんと赤を使う。しかしよく選ばれた赤で「緊急!」と叫ぶ感じではなく、「安心して、こちらへ」と言う印象の赤だ。写真集を頼まれると極力デザインなんてしてませんとばかりに静かに黒の中に納める。無印良品では白が活躍しているけれど、そこでも他の色があって、トーンがあっての白だ。生成りの色、無垢の色としての白の表現だ。自分の何か言いたい時の白とは違う。
白黒銀の世界から振り向くとそこに東京大学総合博物館の学術標本の写真集の、まさに色のある世界が置かれている。アクリルケースに入った本というアイデアのすごさもあるけれど、ここはきっと透明という名の「白」が展示したかったに違いない。
出発点は「色のない世界」
21世紀の鹿威し。「水玉」だけが無言で動いている 〔(C)Mitsumasa Fujitsuka〕
地下に下ると、そこには去年の21_21 DESIGN SIGHT「WATER展」に出されていた作品など、グラフィックではない作品が置かれていた。撥水性の極めて高い素材を使った21世紀の鹿威し(ししおどし)。ぶつかっては細かくなる水玉が当たっては方向を変え、大きさを変え、やがては跳ね返ったり、一緒になって大きくなったりしながら白い坂道を転がっていく。最後の水玉が落ちたかと思うと、鹿威しが水の重さに負けて動き、次の水玉が溢れ出す。やはり白と銀の世界。さらに奥には黒と銀の世界もある。
徹底して色のない世界を展開し、何もない状況を考える。自分自身の提案は常にそこを出発点とする。しかし、デザインについて他の人が語るものであればヒントとして色を置く。商品の提案のためならば必要なだけの色を使う。原さんは常に相手のことを考えて物づくりをしている。その相手が自分になった瞬間に色彩は消えてしまうようだ。