ゆとり教育で育ったから「ゆとり世代」、最近の若いやつらは無欲だから「さとり世代」などと、いつの時代も若者は「○○世代」と一くくりにされ安く見積もられがちだ。上の世代が「これだからゆとりは...」と眉をひそめながら用いることも多い。
ところが今、そうやってさんざん若い者の行状をあげつらってきた50代ビジネスパーソンがとんだブーメランを食らっている。「ゆでガエル世代」と、何とも情けない渾名を頂戴し、「会社でじっと耐え忍んでいるうちにとうとう居場所がなくなった」と指さされているのだ。
危機を経験したくせに
50代男性を「ゆでガエル世代」と命名し、その崖っぷちの実態を指摘したのは「日経ビジネス」誌2016年8月8・15日号。カエルは熱湯に入れると驚いて飛び出すが、常温の水に入れ徐々に熱すると水温変化に気付かずゆで上がって死んでしまうという、俗に「ベイトソンのゆでガエル」と呼ばれるたとえ話から名付けられた。
1957~1966年に生まれた彼らは、右肩上がりに成長しつづける日本経済という幻想を生まれながらに刷り込まれ、社会人になるやバブル経済が到来。その崩壊を経てさらにITバブル崩壊、リーマンショックなど様々な危機を経験したくせに、なぜか「このまま安泰に会社員生活を終えられる」と現実から目を背け、その結果、「過酷な現実を突きつけられ、ぼうぜん自失となっている」。
55歳前後の管理職から強制的にポストを剥奪する「役職定年制度」や、仕事の役割の大きさに応じて報酬を決める「職務等級制度(ジョブグレード制度)」が広く導入されると、定年を間近にラインから外れ、給料が低くなってしまうという厳しい現実の火の粉が、少なからぬ50代ビジネスパーソンに降りかかっていると同誌は断じる。
「現状に甘んじている」
頑張っている、頑張ろうと自らを鼓舞している50代にとっては「何を!」と反発したくなるような立論だろう。だが、特集記事を読み進むと、自分たちに向けられた視線がけして温かくないことに気づかされるのではないか。
「50代は親しか知らないが、あのような人間にはなりたくないと思う」(24歳男性)
「現状に甘んじている。新しいものにチャレンジする意欲が低い」(63歳男性)
それでは「ゆでガエル」と疎まれないためにはどうすべきなのか。
コラムサイト「シェアーズカフェ・オンライン」で、経営者の玉木潤一郎氏(1964年生まれ)は、「50歳を超えれば、高度な専門性を有する者でもない限り、役職を外れれば仕事のほとんどは、下の世代に取って代わられるだろう」と認めた上で、それでもまだまだできることはあるぞ、と同輩に向け以下のようなメッセージを発信する。
「年齢に応じた価値のある業務、たとえば顧客クレームの最終解決に立ち会ったり、会社の側にたって労務問題を解決する汚れ役を担ったりすることができる」
「会社のカルチャーと、会社の資産であるヒトモノカネを理解した上で、デジタルにも明るい50代は、実は新規事業の運営構築にはもっとも適している」
ただし、条件がつく。
「感覚的には、ゆとり世代を見習うべき」「景気が上向きになる事を期待したり、会社が成長するのに従って自分も引っ張り上げられると考えてきた、これまでの感覚を捨てて掛からなければならない」
もうひと踏ん張りしてみますか?(MM)