朝日新聞の「生活保護 月29万円で生活苦しい」という記事が、わたしのフェイスブックのタイムラインでまた回ってきている。1年以上前の記事(2013年3月掲載)なのだが、根強いバズりなのだろう。
母親と、中学生・小学生の子供2人。月に生活保護を29万円支給されている。生活保護なので、健康保険や医療費は無料。
習い事や娯楽費に4万円ほど回し、交際費もつかっている。携帯電話代は月に2万6000円だ。
習い事などでお金がかかり、このまま生活保護費が下げられたら、子どもたちを塾に通わせることができないという。そのためには自分の食費を減らすしか無いと訴える。
生活の期待値だけは、前の世代から引き継いでいるが、実際の生活は貧乏に
手取りが月に29万円というのは、月収40万程度か。年収にして480万円で、日本人の平均世帯所得(537万2000円)にほど近い。
それでも足りないというのは、どういうことか。
それは、生活が厳しいのではなく、「理想の生活にはとどかず苦しい」のだろう。
高度成長期の感覚で、子供を塾に通わせ、受験して、大学にいかせる。あとは車とマイホームと年に1度の家族でのハワイ旅行。こんなかんじがバブルな時の「人並み」の理想の活像だった。もはやそのような生活をするには、平均所得では無理で、年1000万円でも楽ではない。
生活の期待値だけは、前の世代から引き継いでいるが、実際の生活は貧乏になる。さらに税金や社会保障費だって確実にあがって手取りも減っていく。
今後は、こういう人並みの生活を、ほとんどのひとが送ることができなくなる。
まじめに働いて平均所得を得ている人でも、そういう生活からは無縁になる。
自分たちの期待値をどんどん下げている
すでに今の大学生あたりはそれを敏感に察知して、自衛のために、自分たちの期待値をどんどん下げている。これはたぶん無意識にやっているのだろう。
それが、世間的には、「理想が低い」「草食」「消費に興味が無い」にみえるのだろう。
しかし、そうではない。それは若者の自衛なのだ。この記事の主婦のような高い期待感をもっていたら、現実とのギャップに打ちひしがれて、絶望を味わうことを、なんとなく自覚しているからだ。
危ないのは、この記事にあるように40代前半の人だとおもう。バブルが崩壊した後に仕事につくが、バブルの時代をなんとなく知っているような層だ。そしてその世代がちょうど、かつての生活の理想を成し遂げるべき年になってきている。(大石哲之)