うちの家内が東京在住時代に働いていた自宅近所の中小住宅関連メーカーO社社長Tさんのお話です。
Tさんとは会社主催のゴルフ大会でご一緒するなど私も面識があり、何かにつけ身近に接してくれて親近感あふれる人柄の良い方でした。奥さまは先代の娘さんで、私が懇意にさせていただいていた頃は、先代が会長、Tさんとは同年代で義兄にあたる先代の長男Iさんが社長を務め、Tさんは専務でした。ゴルフでご一緒すると、ジョークで「僕は『何にも専務』だよ」などと言っては周囲の笑いが絶えない人気者でした。
突然の不運が会社を襲った
O社は準大手建設会社と太いパイプで結ばれ創業以来50年超の間、平穏な会社運営を続けてきました。ところが突然の不運が会社を襲います。I社長が循環器系疾患で40代後半の若さで突然亡くなってしまったのです。とりあえず、一線を退いたはずの会長が社長を兼務して急場をしのぎ、半年後には専務のTさんを社長に昇格させ、会長が後見役を務める形で新体制をスタートさせたのです。会長苦肉の策でした。
忘れもしないそんなある時、道端でばったり会ったTさんに「社長ご就任おめでとうございます」と話しかけると、思いがけない答えが返ってきました。
「僕は社長なんかヤルつもりは、これっぽちもなかったんだよ。I義兄さんがずっとやってくれるものだと思っていたしね。『何にも専務』がお似合いの僕が、こんなことになるとはね。本当に困惑しているんだよ」
いつも明るいTさんの困った顔つきからはウソ偽りは感じられず、自分は社長の器じゃないんだと訴えかけているようでした。
当時の家内の話では、Tさんは人柄がよく社内の人望はあったものの、リーダーシップが弱く組織を引っ張る力に欠け、また内弁慶タイプで社外にも出たがらないと。会長は連日Tさんを口うるさいほど叱咤しては、「一日も早く組織を引っ張るトップの自覚を持たせて、一人前の社長に育てるのが私の最後の仕事」と話していたそうです。