都内に本社を置くメーカーの元経理部係長(33才、独身)が2012年4月11日、会社の預金6億円を詐取した容疑で逮捕された。警察の調べに対し「ほとんどは好きなキャバクラ嬢の求めに応じて送金した」と供述しているという。
多くの人は「なんでこんなバカなことを」と思うだろう。異常な事件だと。しかし、この犯人は「ホントに異常な人物」だったのだろうか。
人は「悪いと知りながら」不正を犯す弱い存在
金額の多寡こそあれ、この手の横領はあらゆる組織で起きている。そして、犯人はこの係長のように周りから信頼されてカネの扱いを任され、事件発覚に「まさか!あの人が?」と言われる場合が多い。
少し乱暴な言い方をすれば、
「人は誰でも、一定の条件がそろえば横領をしてしまう弱い生き物である」
と考える必要がある。では、どのような条件が揃うと、社員は詐欺や横領事件を起こしてしまうのか。
最近、不正リスク管理において普及している考え方に「不正のトライアングル」というものがある。これはクレッシーというアメリカの犯罪学者が、多数の横領犯との面接調査を踏まえて導き出した仮説だ。
簡単に言うと、次の3つの心理的要素が同時に生じたときに、人は「悪いと知りながらも」横領してしまうリスクが高まる。
ひとつ目の要素は「動機」である。何らかの事情でカネを調達しなければならない「人には言えない問題」を抱え、横領してでも解決しようという動機が生じる。後ろ暗い借金や仕事上の失敗、ノルマ達成への焦りや家族の病気などがその例だ。
2つ目の要素は「機会」である。「上司や同僚に見つからずに、会社や顧客のカネを使って問題を解決できる」と認識した時点で横領のリスクが高まる。その意味で不正は本人だけの問題ではなく、チェックなどの防止体制を取らない会社の問題でもある。
3つ目の要素は「正当化」である。本人が「不正をしても許される、仕方がない」という言い訳のロジックを作るということである。会社や上司に対する強い恨みなども、「悪いのはあいつらだ」という正当化を後押しするだろう。
このような3つの要素が邪悪なトライアングルを作ると、「フツーの人」の心を乱し、横領という異常な行為を誘発しまうのである。
33歳独身係長を襲った「動機」「機会」「正当化」
では、33才の独身係長はどのようなトライアングルを作ってしまったのか。報道をもとにすると次のように推測できる。
まず「動機」については、キャバ嬢に入れ込み、さらに彼女から「がんの治療費が必要」とだまされて「何としても彼女を助けなければ」という心理状態になってしまったようだ。恋愛感情や病気への同情が、強い後押しになったのだろう。
さらに相手が「キャバ嬢」である点が「他人に言えない問題」に輪をかけている。これが家族の病気なら、ここまでの不正に発展していたかどうか。事実、周囲はメーカーのまじめ係長がキャバクラに通っていたと全く知らなかったそうだ。
「機会」については、元係長は会社の銀行口座の管理を任されており、職務上知ったインターネットバンキングのパスワードを使い、人知れず自分の口座に不正送金ができた。さらに銀行の入出金記録を廃棄し、文書を捏造して隠蔽することもできた。この点は、会社のずさんな管理により生じたと指摘せざるを得ない。
「正当化」は、簡単に言えば「横領に踏み切るための自己チューな言い訳」である。係長の場合には「不正をして当然」という積極的な正当化はなかったかもしれない。しかしクレッシーの研究によると、横領犯の典型的な言い訳は、
「盗むんじゃない。借りるんだ」
というものだったという。まるでAIJ投資顧問の社長の「騙すつもりはなかった。あとで取り返せると思っていた」という言い訳ではないか。元係長の場合も、初めて不正送金する時には「ちょっと借ります。あとで返しますから」と心のなかでつぶやいていたかもしれない。
不正を繰り返すうちに、人は正当化の言い訳を必要としなくなる。最初は多少なりとも持ち合わせていた良心が麻痺し、見つからないのをいいことに、横領額が雪だるま式に増えていく。
「低賃金・長時間労働」が不正リスクを高めている?
この「不正のトライアングル」の考え方は、不正の発生原因を考えるヒントになるだけでなく、不正の防止策を考える参考にもなる。
従業員に不正をさせないためには、「人には言えない問題」を抱え込ませず、「見つからない」と安易に思わせず、「自己チューな言い訳」をさせないために、会社は何をすべきかに考え実践することがポイントとなる。
一方、低賃金・長時間労働を余儀なくされ、帰属意識も低くなっている会社では、強いプレッシャーや不満による動機・正当化の温床が常に存在し、機会さえあれば不正は起きやすくなっているリスクが高まっていると考えた方がよいかもしれない。
この事件の刑事責任はもちろん元係長にある。しかし、彼に長期にわたって口座の管理を任せきりにしていた会社にも、事件を引き起こした重大な責任があるという視点を失ってはならない。
さらに彼を騙して貢がせ続けたキャバ嬢に対しても、詐欺罪での立件は難しいのだろうが、贈与税を厳しく取り立て、騙し取った億単位のカネはいったいどこに消えたのか徹底的に事情聴取すべきではないか。
そして、企業経営者や現場マネージャーは、不正に手を染めて人生を台無しにする部下を会社から出さぬよう、この事件を教訓としなければならない。(甘粕潔)