3.11から1年が過ぎた。千年に一度という巨大地震は東日本の海岸部に津波をもたらし、大参事を招いた。併せて、原子力発電所の持つ危険性を現実に社会に問いかける機会をもたらした。
東京電力の賠償責任問題のみならず、今後の原発運営のあり方について、イデオロギー的な主張も含めて活発な議論が続いている。また、明日からのことか、中期的なことなのか、長期的なことなのかも曖昧な議論が続いてもいる。
かつて、電力会社の経営を見ていた立場から、需給問題を客観的に議論するためのクール(冷徹)な見方について述べてみたい。
インフラの設備投資は「ピーク」で判断する
実は電力も含めてインフラ型の産業の設備投資を考えるうえで、「合計」とか「平均」とかいった数字はあまり意味がない。極論すれば、意味を持つのは「ピーク・デマンド」だけである。
ピーク・デマンドというのは、一番需要が高くなるときに他ならない。電力でいえば、夏の一番暑い盛りの昼下がりがそれに該当する。その一瞬に必要な発電設備を持たなければいけない。
発電所から送り出す電気が1kwでも足りなければ、アウトになる。すべての発電所を認可されている出力通り運転して年間の総電力需要を満たせても、実際には全く意味がないことになる。
逆に最後の1kwの出力を供給する発電所は、たとえばピークの1時間だけ必要だとしても、電力供給義務を果たすためにはどうしても必要となる。稼働率は低くてもだ。
また、ピーク・デマンドからかけ離れているような時間帯で、節電しても原発問題には大きな影響を及ぼさない。単に利用料金の支払額がさがるだけだ。あとは、環境問題に貢献するとか、無駄遣いをやめるという美徳の問題になる。
ピーク・デマンドに合わせてできあがった発電所群は、東日本で25.3%、西日本(沖縄を除く)で20.5%(2010年度末)の出力が原子力発電所に委ねられる状況に来ている。つまり、原子力発電所をすべて止めるということは、概ね75~80%の出力に低下するということになる。
今年のどこかで訪れるピーク・デマンドが今よりも20~25%低下しないと、原子力発電すべてを止めたら確実に停電するということである。