『週刊東洋経済』2011.11.26号が、「さらば!スキルアップ教――教養こそは力なり」という特集を掲げている。英語やIT、会計の「三種の神器」は、他人に使われるための「奴隷の学問」。すぐに真似されて陳腐化するスキルではなく、深くて広い「教養」こそが真の価値を生み出すというのだ。
記事では、エンジェル投資家で京大客員准教授の瀧本哲史氏や、『思想地図β』編集長の東浩紀氏、インスパイアファウンダーの成毛眞氏、ライフネット生命保険社長の出口治明氏などが、「いま必要な教養」について語っている。
業務スキルだけでは「自由」になれない?
目を引くのは、特集の冒頭で瀧本氏が「日々の業務を回すだけの人には教養はいらない」と言っていること。資本主義社会の中でコア人材、マネジメント層として生き残るには、スキルだけでは足らず、
「5~10年後に会社はどうなるのかを考え、意思決定する人には、より抽象度が高いことを理解し、世の中を俯瞰することが不可欠」
と続く。そこで必要なのは、修辞学や論理学といった「人を自由にする学問」、すなわち「リベラルアーツ」と言われる分野の知識だという。歴史学や文化人類学なども有用な知識としてあげられている。
確かに、現代日本の政治経済における混乱は、責任ある人たちが教養の厚みを持たず、狭いものの見方や考え方しかできないから、といった指摘は以前からされている。
しかし、この流れはそう簡単に変えられるだろうか。大学で物理学を専攻した30代半ばの男性A氏は、IT業界で転職をしたときに、会社から「即戦力」という言葉を嫌になるほど聞かされたと振り返る。
「教養のある人材なんて、日本企業で育つわけないですよ。経営者も人事部長も、そんな人が会社に必要だと少しも思っていない。文字通り『日々の業務を回すだけの人』がいればいいと思っているから当然ですが(笑い)。そもそも彼らにとって教養なんて、せいぜい司馬遼太郎くらいですしね」
A氏は、教養はあった方が望ましいが、特に教養が必要なのは官僚や政治家、大企業の経営者などの社会的エリートであり、普通の「他人に使われる人」にとって、当面は「三種の神器」が有利に働くだろうという。
「面白そうなやつ」採る余裕減った
企業で人材の採用や育成に関わる人は、教養の意味についてどう考えているのか。中堅商社の人事グループでマネジャーを務めるB氏も、やはり「三種の神器」は重要で、何の役に立つかも分からない教養の量だけでは評価できないという。
「入り口は違っても、英語やIT、会計の知識を本当に使いこなしている人は、結果的に地に足の着いた教養のようなものを持っていると感じますよ。海外の情報をウォッチし、仕事のしくみや会社の経営を考える上で、そういうスキルを活かしている人はいっぱいいる」
ただ、近年は個別スキルにこだわりすぎていた、という反省はある。景気のよかったころは即戦力になるかどうかわからないが、「ちょっと面白そうなやつ」を少し混ぜて採用する余裕があったそうだ。
そんな人が、他人と違ったものの見方から、思わぬタイミングで能力を発揮して活躍する。そういう経験をした人事担当者は少なくないはずだという。
いずれにしても「希少価値のある人材」でなければ、後から入ってくる若手や外国人に取って代わられてしまう。スキルで勝負するか、教養で生き残るか――。どちらの道を選ぶかは、人それぞれなのかもしれない。