先日、社会起業家の面々と交流する機会があって、色々な人と意見交換させていただいた。「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」の代表や、途上国支援ビジネスなどグローバルに活躍する人たちがメインに集まっていたのだが、次のような素朴な疑問を数人からぶつけられた。
「過去最大の就職氷河期というけれど、就職できないなら海外協力隊やNGOなどに参加してキャリアを積むチャンスだ。なのに、なぜ企業はそういう動きを後押しせず、学生も大学などに残ろうとするのか」
社会貢献がキャリアとなる米国
彼らは最初から組織に属さずに活動するか、外資系企業を経て現在の活動を続ける人たちが中心だ。いわゆる「日本型雇用」というものを外から眺めて、その中でがんじがらめになって苦しむ日本人が不思議でならないらしい。
当然だろう。それが世界標準の感覚というものだ。
たとえば、Teach for Americaという米国NPOの話はとても興味深い(Teach for Japan準備会の代表・松田氏と事務局長・深澤氏から教えていただいた)。全米の大学生の就職人気ランクで上位につける教育NPO(2010年度は1位)で、参加者はこの組織を通じて、全米の教育困難地区を中心に2年間の教職に就くことになる。
教育免許の有無は問われないが、参加学生のレベルは高く、大企業からの寄付を受けて運営されていて、2年後にはGEやグーグルといった一流企業へ就職する学生も多い。学生も企業の側も、2年間の社会貢献が魅力的なキャリアになると知っているわけだ。
企業にとってはこれほどマネジメントの鍛えられるOJTは他にないだろうし、教育現場の側も優秀な人材を期間限定とはいえ活用できるのだから悪い話ではない(しかも3割が引き続き教育現場に残るという)。
「新卒」の看板のために留年する日本人
一方、日本で同じことをやったとしたら、「既卒」というレッテルを張られて主要企業からは村八分にされるのがオチだ。年齢で処遇を決める日本型雇用の場合、キャリアにブランクがあくのは致命的だからだ。
だから(出産・育児等で穴のあく可能性の高い)女性は総合職として採用されにくいし、新卒時に内定のないままフリーターになった人間も採用対象とはならない。
彼らが要求するのは正社員としての職歴なので、フリーターはもちろん、NGOやボランティアといった現場活動もキャリアとは認められない。上記のようなユニークな経験も、年功序列で初任給から積み上げる日本的キャリアとは、今のところは相いれないのだ。
これこそ、内定の取れなかった学生が、単位が揃っているにもかかわらず大学に残ることを選択する理由である。そして、将来の有望市場となりうる新興国でリーダーシップやマネジメントのOJTを積む貴重な機会が待っているにもかかわらず、それらには背を向けるのだ。
代わりにもう1年間、それも貴重な20代の1年間を、リクルートスーツを着込んで国内企業回りにせっせと精を出すことになる。
「まっさらな新卒」より「世界の泥にまみれた既卒」
国際的な競争力という意味で、これは致命的な損失だろう。「日本の最大の強みは人的資源だ」という点に異論のある人は少ないはず。それを最大に損なっているのは終身雇用だ、という現実に、いい加減向き合うべきだ。
特に、未内定者対策と言いながら「新卒」というキーワードを捨てられない民主党には猛省を促したい。「国滅んで連合あり」とはいかないのだから、彼ら連合を説得する余地はあるはずだ。
同時に、内定の採れなかった若者へも一つ言っておきたい。残念ながら就職留年したところで、状況は好転しないだろう。同時に、これからは、君たちのような存在が普通になるだろう。
だったら、これまでの常識を捨てて、大企業以外、いや日本以外に目を向けてみるのも悪くないはずだ。少なくとも世界標準では、新卒で新入社員に滑り込んだ人間よりも、1~2年海外で汗を流した人間の方が人材価値は高いのだから。
なお、NGOやボランティア経験が日本的キャリアと「今のところ」相いれないと書いたのは、さすがの日本企業にも変化の兆しがあるためだ。大手企業の人材マネジメントにおける相次ぐ「グローバル化」は、彼らが世界標準にシフトしつつあることを示している。「まっさらな新卒」より「世界の泥にまみれた既卒」を優先する時代が来るかもしれない。
城 繁幸