うちの近所には、業界首位から実質債務超過と呼ばれる企業まで、コンビニ各社がほぼ出そろっている。会社の経営状況はさまざまだが、スタッフ募集の張り紙を見ると、バイトの時給は全社とも同じである。「そんなの当たり前じゃないか」と思う人もいるかもしれないが、そうなる理由を考えてみると面白い。
雇用の流動性が低いから生じる「格差」
当然だが、コンビニの店員のほとんどは非正規雇用のパートさんであり、雇用の流動性はきわめて高い。こういう仕事で、
「うちは経営苦しいから時給700円ね!」
というのは通用しない。他店に転職されてしまうからだ。
要するに「この地域でレジを打つ」という仕事に対して、市場価格が形成されているわけだ。これが職務給である。勤めている企業も、年齢も性別も関係ない。労働組合を作って交渉しても、あまり賃上げしてもらえる余地はないが、逆に必要以上に搾取されるリスクもない。
一方、社内で閉じてしまっている一般的な日本企業だと、こうはいかない。こっちの世界では同じような仕事をしていても、給料は会社の規模、年齢、性別、学歴によって大きく異なる。
大手と中小だと倍くらい違うし、同じ会社の中でも20代と50代だと倍以上の差はある。男女間の賃金格差は先進国中、最大だ。市場価格が成立していないため、こんなおかしな事態になるわけだ。
余計な規制さえなければ、コンビニ店員のように職務給となるのが自然だ。「やっている仕事の値段がわからない」という現状は異常である。
サービス残業も「閉じた世界」の副産物
「閉じた世界」の弊害は他にもある。逃げ場がない以上、会社の都合で「赤字なんで給料1割カットね」とか「休日出勤してね」と言われても受け入れるしかない。
他にも、サービス残業、パワハラ、セクハラなども、すべて閉じた組織の副産物である。事実上、人生を会社に丸投げするわけだから、なかには、「会社の生命は永遠です。その永遠のために、私たちは奉仕すべきです」といって自殺に追い込まれる人までいる。
労働者にとって最強の武器とは、転職の自由なのだ。よく、
「雇用の流動化を認めてしまうと、労働者はどんどん貧しくなってしまう」
という人がいるが、現実はまったく逆である。労働者は労働を売って生活する存在であり、経営と一心同体になる必要なんてまったくないのだ。
ただひたすら「仕事だから、しょうがない」と我慢しているだけで、豊かな生活が送れる時代は、多くの人にとって既に過去のものだろう。
というわけで、そろそろもう一つの可能性に目を向けるべきではないか。成熟した先進国への道は、意外と近くにあるものだ。
城 繁幸