今年も春闘がスタートした。定期昇給やベアを労使で交渉するアレである。ベアは全体の賃金カーブを上に引き上げること、定昇は勤続年数分の加算をすることで、つまり賃金カーブに沿って上げていくことを意味している。
労使の主張はともに間違っている
さて、その春闘だが、経団連は「不況の中、定昇なんて実施する余裕は無い」と定昇の見送りを主張している。デフレなのでベアが無いのは当然としても、定昇がないと若手の賃金カ-ブは上の世代よりも下がってしまい、生涯賃金も少なくなってしまうことになる。
要するに「定昇をやらない」ということは、「若い頃は安月給だけど将来は昇給するから我慢しろよ」と新人に説教たれるオヤジの論理が破綻するということなのだ。若者はもちろん、中高年にとっても由々しき事態だろう。
一方の連合は「賃上げしないと消費が冷え込み、デフレが加速してしまう」という主張を展開中だ。一見すると、社会のことも考えた視座の高い主張にも見えるが、90年代までは「インフレなんだから賃上げしろ」とまったく逆のことを言っていたわけで、ぜんぜん説得力はない。そもそも、賃上げする原資がない点を話し合っているのに「大丈夫、賃上げすれば景気は良くなるから」というロジックは頭が悪すぎる。
というわけで、労使ともに間違った主張である。問題の本質は、「予算は前年度+αで増え続けるから、増加分だけを分配すればいい」という前提条件が破たんしている点にある。+αでは増えない時代になったのだから、既にたくさん貰っている人の分も含めて、再分配しなければフェアではない。そのためのルール作りこそ、春闘でやるべきだろう。
「10年前は良かった」のスパイラルは続く
余談だが、労使が90年代以降やってきたこととは、中高年正社員の賃金を維持するために、若手社員の昇給を抑制することだけだ。その結果、賃金カーブは大きく低下してしまった。これをもって「中高年も賃下げされている」というのは大嘘で、高給取りが無事に逃げ切り、後に残った若手~中堅は「先輩ほどには昇給できなかった」という現実である。
仮に現状の春闘を続けてしまった場合、日本企業ではこの先、何が起こるだろう。2030年頃、社内の団塊ジュニアは「高給取りの既得権層め」と若手から白い目で見られている点では今と変わらないだろうが、団塊世代と比べるとずいぶんしょぼい老後が待っているはず。
「部長、カローラ買ったらしいぜ?」
「マジかよ! いいよな、団塊ジュニアのおっさんは金持ちで」
みたいな何とも夢の無い話になりそうだ。パイがどんどん減っているのに、サイクル自体を変えようとしないのだから仕方がない。日本のお家芸であるモノ作りは中国の追い上げで青息吐息だが、“縮小再生産”というモノ作りだけは今後も安泰だろう。
城 繁幸