民主党が圧勝することになる総選挙を数日後に控えた、2009年8月27日。鳩山代表が米ニューヨーク・タイムズ紙に掲載された一本の論文が、ワシントンの米政府関係者を中心に物議を醸しました。
米国に宣戦布告?「市場原理主義に翻弄された日本」
早速、「A New Path for Japan (日本の新しい道)」と題された掲載論文を読みはじめて、驚きました。
「冷戦後の日本は、アメリカ発のグローバリズムという名の市場原理主義に翻弄されつづけた。資本主義が原理的に追求される過程で、人間は目的ではなく手段におとしめられ、その尊厳を失った」
このような挑発的な書き出しではじまり、次のように続きます。
「冷戦後の今日までの日本社会の変貌を顧みると、グローバルエコノミーが伝統的な経済活動を傷つけ、地域社会を破壊してきたといっても過言ではないだろう」
日本経済の長期低迷が米国のせいであるかのようにすら読める、米国主導の世界経済体制を批判する内容です。
大衆受けを狙った評論家による国内向けのチープな文章ならともかく、一国の首脳が、米国を代表する一流紙にこのような論文を寄稿したとなると、まるで相手の軒先でケンカを売っているかのような印象を受けます。
しかも、書き手は米国と敵対する北朝鮮やキューバのような国ではなく、安全保障のパートナーであり、依然として世界第二位の経済大国たる地位を占めるわが国の次期総理(の最有力候補)です。ワシントンの関係者らは、米国を批判し、日米関係を相対化するような鳩山氏の主張に、さぞかし驚いたことでしょう。
文末には、民主党が総選挙に勝てば同氏が総理の座に就くことと、本論文のより長い版が09年9月号の『Voice』誌(PHP研究所発行)に掲載されていることを末尾で述べ、あたかもこれが新政権の対米外交戦略であると誤認させられるような注釈がついていました。
「祖父・一郎に学んだ『友愛』」から勝手に?抜粋された論文
しかし、元となった『Voice』誌の論文を読んで、再び驚きました。ニューヨーク・タイムズ紙に掲載されている文とは、印象がまるっきり異なるのです。タイトルは、「私の政治哲学-祖父・一郎に学んだ『友愛』という戦いの旗印」。この論文には、大きく次の5つの小見出しがついていました。
・党人派・鳩山一郎の政治信条
・自民党一党支配の終焉と民主党立党宣言
・衰弱した「公」の領域を復興
・地域主権国家の確立
・ナショナリズムを抑える東アジア共同体
つまり、米国批判は本論文の主たる趣旨ではないのです。上記で抜粋した個所は、確かに本論文にちりばめられているのですが、あくまでも「友愛」という、なんともソフトな政治哲学を伝えるための、単純化されたスケープゴートとして使われているに過ぎないのです。
ニューヨーク・タイムズ紙に掲載された文章は(その元となったクリスチャン・サイエンス・モニター紙に抜粋された文章と比較しても)、反米を煽るような意図をもって編集されたのでは、と疑ってしまうような抜粋の仕方でした。
ハトヤマって何者?――「つっこまびりてぃ」が話題を呼ぶ
さて、私たちはこの事例から、何を学ぶべきでしょうか。
情報化時代においては、パブリックに発信する言説はいつ、どのような形で抜粋・引用され、世界中の誰に読まれるか分からないので、慎重を期さなければならない――。そんなありふれたことは、ここでは言うつもりはありません。
ここではあえて、裏をかいてみたいと思います。実は、鳩山氏は与党の党首という座に就く前の、評論家的な発言が許される最後のチャンスを狙って、このような話題性を呼ぶ文章を発信したのではないか、ということです。
ある外務省幹部は「政権に就いた後の政策が野党時代と異なることは米国もわかっている。それより、ワシントンでこんなに日本が話題になるのは本当に久しぶり。ある意味でチャンスだ」と苦笑したと報じられています。
英語の論文は電子版で報じられたため、「ハトヤマって何者?」という疑問符が瞬く間に世界中を駆け巡り、話題になりました。ネット時代にあるニュースが話題を呼ぶには、ある程度の「つっこまれる隙」(これを私は『つっこまびりてぃ』と呼んでいます)が必要です。あえてそのような隙を作ることではじめて、ニュースが話題性を高め、認知を上げることができます。
そのようなネットマーケティングの高等技術を鳩山氏が無意識のうちにも実践していた、というのは少々、勘繰り過ぎでしょうか。
岩瀬 大輔