森友学園の籠池泰典理事長が安倍昭恵夫人から100万円の寄付を受け取ったと主張している問題で、政府・自民党は籠池氏の偽証を立証しようと「物証」探しに躍起になっている。
籠池氏は、2015年9月5日に昭恵氏が塚本幼稚園(大阪市)で講演する直前に100万円を受け取ったと主張。講演の様子をテレビ東京系のテレビ大阪(大阪市、TVO)が収録しており、講演直前の動画や講演を取材した記者やスタッフの証言が入手できれば、籠池氏の証言の真偽を示す材料になる可能性がある。そのため、政府・自民党も重大な関心を寄せており、関係者によると、自民党所属の衆院議員を通じてTVO側に協力を要請するため接触を図ったとみられる。テレビ局にとっては放送倫理に触れる可能性のある「接触」に及ぶほど、政府・自民党には焦りがあるともいえる。
2月21日のニュース番組で昭恵氏の講演を放送
テレビ東京は17年2月21日夕方のニュース番組「ゆうがたサテライト」で、昭恵氏が塚本幼稚園で講演する様子を放送。番組では、森友学園が開校を目指していた小学校の名称を「安倍晋三記念小学校」にしたいとする籠池氏の意向について、昭恵氏が
「もし名前をつけていただけるのであれば、総理大臣を辞めてからにしていただきたいということで...」
などと話す様子が放送された。この講演を取材したのがテレビ東京系列局のTVOだった。
籠池氏は3月23日の証人喚問で、100万円の授受は
「(編注:昭恵氏が)同行していた、お付きの方に席を外すように言った後、私と2人きりの状態」
で行われたと主張しているのに対して、昭恵氏は同日夜、フェイスブックで
「私は、講演などの際に、秘書に席を外してほしいというようなことは言いません」
「この日も、そのようなことを行っていない旨、秘書2名にも確認しました」
と反論。安倍首相も昭恵氏の言い分を追認しているが、食い違う証言しか根拠がない「水掛け論」の様相を呈している。
政府・自民党は、「2人きりになったことはない」という主張を支える有力な材料として、TVOの講演取材映像が「物証」になり、講演の様子を知る取材スタッフの証言も得たいと考えている模様だ。
関係者によると、複数の首相官邸関係者が3月27日ごろ、自民党所属の衆院議員を通じてTVO側に接触し、
「(講演の様子を)公表してもらえないか。話してもらえないか」
などと協力を要請した模様だ。
菅官房長官「誰にでも分かる客観的な証拠」
その後、籠池氏をめぐっては、国から補助金を不正に受給したとして補助金適正化法違反の容疑で高松市在住の男性が大阪地検特捜部に告発し、地検は3月29日に受理。自民党の西村康稔総裁特別補佐は3月28日夜に会見し、籠池氏の証言には偽証の疑いがあるとして、国政調査権に基づいて資料を要求する方針を明らかにした。籠池氏は証人喚問の中で、昭恵氏から受け取ったと主張する100万円を職員が郵便局で振り込んだと説明。だが、自民党は実際に振り込んだのは籠池氏の妻、諄子(じゅんこ)氏だとみており、日本郵便が保有する「払込取扱票」、森友学園が保有する「受領証」を取り寄せた上で筆跡鑑定し、偽証を立証したい考えだ。
菅義偉官房長官は3月29日午前の記者会見で、
「証拠のない言い合いを続けるよりは、誰にでも分かる客観的な証拠を示していくことが必要であって、そうした観点から与党あるいは国会による調査が進み、確かな証拠のもとに、事実が解明することを期待したい」
と述べ、こうした調査には
「政府として必要な協力は行っていきたい」
と話している。
TVO「報道していることがすべてです」
J-CASTニュースは3月29日、TVOに対して
「自民党の国会議員や政府高官から、TVOまたは講演を取材した記者やスタッフなどに対して、(1)取材テープの提供、または視聴の要請(2) 講演当時の事実関係の確認について協力要請が行われたという事実はあるか。仮にあった場合、TVOとしてはどのように対応したか、または対応する方針なのか」
などと事実関係の確認を求めたところ、TVO広報担当者が3月30日夕、
「報道していることがすべてです」
とのみファクスで回答した。自民党や政府高官からの協力要請の有無についての言及はなかった。
一方、J-CASTニュースは首相官邸関係者とTVO側とを取り持ったとみられる自民党所属の衆院議員にも3月29日午後に電話とファクスで取材を申し込んだが、30日18時30分までに回答はない。
テレビ局にとって、放送前や放送に使用されなかった取材テープを第三者に見せたり、取材で得た情報を放送以外で公表したりすることは放送倫理上きわめて重大な問題があると認識されている。最も有名なのがTBSとオウム真理教をめぐる事件だ。TBSは1989年、オウムに批判的だった坂本堤弁護士のインタビュー映像を、放送前にオウム幹部に視聴させ、その9日後に坂本弁護士一家はオウム信者らに殺害された。一連の経緯はオウムの犯行が顕在化した1995年から96年にかけて明らかになり、事件に関与したプロデューサー2人が懲戒解雇処分を受け、当時の磯崎洋三社長が引責辞任している。