プロ野球・西鉄ライオンズ(現・西武ライオンズ)の黄金時代に内野手として活躍した豊田泰光さんが2016年8月14日、死去した。日本経済新聞などが15日、報じた。81歳だった。
茨城県出身で、水戸商高3年だった1952年、夏の甲子園に出場。翌年に西鉄に入団し、1年目から強打の遊撃手としてチームを支えた。
野球雑誌で20年間コラムを担当
豊田さんは1年目、高卒新人としては異例の打率2割8分1厘、27本塁打という好成績を収め新人王を獲得した。1956~58年の西鉄黄金時代には、打線の主軸を担って日本シリーズ3連覇に貢献した。通算成績は1814試合に出場し、1699安打、打率2割7分7厘、263本塁打、888打点。首位打者に1度、ベストナインには6度、選出されている。
引退してからは近鉄でコーチを務めた後、テレビやラジオで野球評論家として活動していた。野球雑誌「週刊ベースボール」では、1993年から2013年までコラム「豊田泰光のオレが許さん!」を担当し、舌鋒鋭い評論がファンの間で親しまれていた。2006年に野球殿堂入りを果たした。
ツイッターには、
「西鉄流線型打線恐怖の2番打者豊田泰光さん死去ですか。。高卒1年目からショートのレギュラーとして20本塁打を放ち西鉄黄金期を支えた名選手がまたひとり。。。合掌」
「豊田泰光さん亡くなったのか......辛口なの結構好きだったんですが......ご冥福をお祈りします」
「豊田さんの現役時代は無論知りませんが、週刊ベースボールの連載愛読してました。本当に教養ある人だなと思うし、そういう人ならではの野球の視点がありました」
と追悼の声が寄せられている。