「日本死ね!!!」ブログの波に乗った 山尾議員の「大抜擢」と子役経験との関係

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   民主党と維新の党が合流しで2016年3月27日に発足する「民進党」は、当選2回の議員を役員に据える「仰天人事」を断行することになりそうだ。「保育園落ちた日本死ね!!!」と題した匿名ブログを2月29日の衆院予算委員会で取り上げ、待機児童問題の解決を迫ったことで脚光を浴びた山尾志桜里衆院議員(41)が政調会長に就任するとの見方が有力になっているのだ。

   小学生の頃には人気ミュージカルで主役を務め、東大卒業後には司法試験に合格して検事として活躍するという異例の経歴の持ち主だ。民主党の岡田克也代表は、3月25日の記者会見で「人事は党大会で決める」と口をつぐむが、「非常に成長してきた期待の人材」だと話している。

  • 山尾氏は衆院予算委員会で匿名ブログを取り上げたことで注目が集まった(衆議院インターネット審議中継より)
    山尾氏は衆院予算委員会で匿名ブログを取り上げたことで注目が集まった(衆議院インターネット審議中継より)
  • 山尾氏は衆院予算委員会で匿名ブログを取り上げたことで注目が集まった(衆議院インターネット審議中継より)

国会論戦きっかけに「#保育園落ちたの私だ」の声あがる

   山尾氏が匿名ブログを取り上げた時の委員会室では、与党席からは

「やめろ、やめろ!」「誰が言ったの!」「本人出てこいよ!」「出典は?出典!出典はないんだろ?」

といったヤジが飛び、安倍晋三首相も「匿名である以上、確かめようがない」などとそっけない対応に終始。それでも山尾氏は

「言葉は荒っぽいが(待機児童問題の)本音、本質だ」

と食い下がった。これをきっかけにツイッター上で「#保育園落ちたの私だ」というハッシュタグが登場して抗議の声が広がり、与党側も軌道修正を余儀なくされた。

   こういった粘り強さや「初志貫徹」の精神の片鱗は、幼少期の経歴からもうかがえる。山尾氏は小6~中1の頃にミュージカル「アニー」で初代~2代目のアニーを務め(2代目はダブルキャスト)、中2で芸能界を離れている。1994年9月20日の日刊スポーツによると、この「アニー」は、「今をときめく安達祐実(13=当時)がオーディションに3回チャレンジして3回とも落ちたミュージカル」だ。山尾氏は「名門」と言われる東京学芸大附属大泉中、東京学芸大附属高校を経て東大に合格。「『アニー』はいま東大生」と題した1994年10月の読売新聞の記事で、再びメディアに登場した。当時の記事によると、山尾氏は「中学も高校も志望の1校しか受けず、合格」。山尾氏はアニーから受けた影響について

「アニーをやっていたころが、一番成績が良かったんですよ。成績が落ちたらアニーをやめるって親に約束していたからか」

と話し、東大に入った理由も

「一番難しいところに挑戦しようと、前から決めていたんです。それに、いろいろな事ができるのは、やはり東大だと思って」

と説明した。1995年には

   「アニーの100日受験物語―私は、コツコツ勉強する優等生ではなかった」(ゴマブックス)と題した単著も出版し、高3の9月から受験勉強を始めて東大に合格するまでの「短期戦」のノウハウを明かしている。

   その後山尾氏は99年に東大を卒表し、2002年に司法試験に合格。検事としてキャリアを積み、07年に退官している。民主党が政権を取った09年8月の衆院選で愛知7区(瀬戸市など)から出馬して初当選。民主党が下野した12年12月の衆院選では落選したが、14年12月の衆院選で返り咲いた。

「しっかりと子育てと政治活動を両立」

   岡田氏によると、民進党の役員人事は新党協議会で岡田氏と維新の党の松野頼久代表に一任され、「2人で相談して、おおむね合意に達している」。だが、山尾氏の政調会長起用については、

「人事は27日の党大会で正式に決まる。まだ、私自身も代表になるかどうかってのは決まっていないので人事権もない。従って、今決めるような状況にない」

とお茶を濁した。それでも「人事は別にして、代表として山尾氏の仕事ぶりをどう評価するか」と聞くと、岡田氏は

「あまり言うと既成事実化しますので特に申し上げませんが...」

と前置きしながら、山尾氏のことを

「彼女が初めて(選挙に)出た時、そして落選中、私も隣の県で近いということもあって何度も応援に入ったりしている。しっかりと子育てと政治活動を両立させながら、非常に成長してきた期待の人材だと思っている」

と高く評価していた。

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