2015年5月に行われた「大阪都構想」をめぐる住民投票で構想が否決された責任を取る形で維新の党の代表を辞任していた江田憲司氏が、自ら「謹慎」を解除した。袂を分かった「大阪組」こと、地域政党「大阪維新の会」の公認候補が大阪府知事と大阪市長のダブル選で「完勝」したことが背景にあるようだ。
江田氏は、再選を決めた松井一郎大阪府知事が「自民党と手を組んで政策を実現していく」などと政権寄りの主張をしたことが分裂のきっかけになったと講演で暴露。松井氏はこの発言が「全くデタラメ」で、江田氏のことを「ペラペラな政治家」だと批判するなど、早くも泥仕合の様相を呈している。
江田氏、「謹慎」解除で分裂経緯を「暴露」
江田氏は2015年11月23日未明にブログとフェイスブックを更新し、
「本当は、一年ぐらいは『謹慎』と心に決めていましたが、周りの状況がそれを許してくれません」
などとして代表辞任以降続けてきた「謹慎」の解除を宣言。「大阪組」への反撃を予告した。
「大阪からは『偽物』『子ネズミ』『日本一馬鹿な政治家』等々、同僚議員にこれでもかというほどの罵詈雑言が浴びせかけられました。この党を作った者の一人として、その責任として、謂れなき誹謗中傷には、はっきりと反論していかなければなりません」
そして「反撃」は、23日の昼、富山県小矢部市で行われた講演の中で行われた。15年6月に江田氏が松井氏と会談した際、江田氏が「自民党と手を組んで政策を実現していく」などと述べたことをきっかけに維新の党が分裂したことを暴露。「大阪組」の政権との距離の近さを批判した。
「私は橋下さんとも松井さんとも多分、政治家のなかでは一番、頻繁に付き合ってきた人間だと思う。我々をニセモノとののしる前に、『いやいや江田さん、やっぱり大阪の知事や市長をやっていると、時の政権・与党には刃向かえませんわ』と(正直に言ってほしい)」