編集長からの手紙
36年後の続報、自殺した試験管ベイビー第2号医学者の遅すぎる名誉回復

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   いまでこそ体外受精は珍しくないが、あれは世界の大ニュースだった。ロバート・エドワーズ博士の体外受精技術で生まれたルイーズちゃんのニュースは英国から世界へ発信され、科学技術と生命倫理の問題を抱えながら、人類の歴史に刻み込まれていった。エドワーズ博士は2010年にノーベル生理学・医学賞を受賞する。

   ルイーズちゃんの誕生が1978年7月25日。その67日後、インドのカルカッタ(現在のコルカタ)でドルガちゃんが誕生。これが試験管ベイビーの世界2例目という大ニュース、その成功は祝福されたかというと、全く逆だった。何があったのか。

   2015年7月26日でJ-CASTニュース創刊9周年を迎えた。情報をニュースの形で提供しながら、改めて「ニュースとは何か」を考えた。

  • 写真は当時の記事のスクラップ
    写真は当時の記事のスクラップ
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アジアでそんなことができるのか

   6月末、J-CASTニュース宛にインドから1通のメールが届いた。

「御社の蜷川様は朝日新聞にお勤めの1979年ごろにインドにて試験管ベイビーの取材をされた経歴はございませんか」

   NGOからインドへ派遣されている日本人青年からだった。青年が滞在する研究所の博士が、蜷川を見つけてくれないか、渡したいものがあるという。

   青年はネットで検索して私を探し出した。「84歳の博士が毎日のように探してほしいというので、迷惑かと思ったがメールをした」という。

   ドルガちゃんが生まれたころ、私は朝日新聞のニューデリー特派員で、インドに駐在していた。第2号ベイビーに関する記事を何本も書いている。しかし、試験管ベイビーへの周囲の目は厳しく、地元の州政府は調査委員会を作り握りつぶそうとした。神への冒涜である、停電の多いカルカッタで冷凍保存ができるのか、インチキだろうという激しいバッシングだった。外国からの目も冷淡だった。アジアでそんなことができるのか。

   直接見て真偽を確かめたい。カルカッタへ飛んで、研究チームを直接取材した。詳しく話を聞き、研究チーム全員に会い、病院も見せてもらう。当時は誰にも会わせなかったドルガちゃんと両親にも会った。真相を日本には伝えたいから、とうまいことを言ってはいるが、本心はインチキかどうかを確かめる、疑い深い記者だった。しかし、中心人物のカルカッタ大学教授スバシュ・ムケルジー博士は私の要望をすべて受け入れてくれた。インド人は信用できない、欧米人もインドを馬鹿にするからいやだ、日本人ならいいだろうという感触だった。

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