イスラム国での取材経験が豊富なジャーナリストの常岡浩介氏が2015年1月22日午後、東京・有楽町の日本外国特派員協会で会見した。
日本人人質事件について「相当絶望的な状況」だとしながらも、「助けられる方法があるとすれば、イスラム国と直接対話するしかない」として、自分やイスラム学者の中田考・同志社大学客員教授を交渉のチャンネルとして活用するように訴えた。
14年9月時点では身代金は要求せず、処刑して見せしめにはしないことを明言していた
常岡氏と中田氏はイスラム国司令官、ウマル・グラバー氏と面識があり、湯川遥菜氏の拘束が明らかになった後の14年8月26日、ウマル氏から「湯川氏の裁判をしたいが、湯川氏とコミュニケーションが取れない。イスラム法とアラビア語、日本語が分かる人に来て欲しい」などと連絡があった。
2人は9月初旬にイスラム国の拠点都市、ラッカでウマル氏と面会。ウマル氏は(1)身代金は要求しない(2)処刑して見せしめにはしない、という点を「イスラム国の方針」として明言していたという。ウマル氏の上官が湯川氏の処遇を決める立場で、湯川氏と面会する段取りをウマル氏が上官と調整していた。だが、直後にシリアがイスラム国を空爆し、常岡氏と中田氏は湯川氏と面会できないまま帰国せざるを得なくなった。常岡氏は10月に再びイスラム国入りし、湯川氏との面会を試みることにしていた。
だが、警視庁公安部は10月になって、常岡氏らが北海道大学の学生のイスラム国行きを支援したとして、常岡氏と中田氏の自宅を私戦予備・陰謀の容疑で捜索。カメラやPCも押収されたため、10月のイスラム国行きは不可能になった。加えて、イスラム国関係者の連絡先も押収された。そのため、常岡氏は
「取材源の秘匿、保護ができなくなった。ウマル氏に連絡しようとすると盗聴される」
として、中田氏と同様、イスラム国関係者との連絡を控えてきた。
公安の捜索が「危機的状況を引き起こしたとすら言える」と非難
常岡氏は14年9月のイスラム国取材から、湯川氏の状況は危機的ではないとみていた。だが、15年1月に公開されたビデオでは一転、殺害予告が含まれていた。この数か月で、イスラム国が何らかの理由で態度を大きく変えたことになる。
常岡氏は、北大生にはイスラム国に行く意思が全く感じられなかったとして私戦予備・陰謀の容疑を完全に否認しており、家宅捜索が10月のイスラム国行きを妨害する形になったことを
「湯川さんを助けられるかもしれない機会を奪った」
「彼(湯川氏)がもし助かっていれば、後藤健二さんは無理してイスラム国の領域に入ろうとはしていなかっただろうと予測される。言ってみれば、警察の捜査が湯川さんの現在の危機的状況、後藤さんの危機的状況を引き起こしたとすら言えると思う」
などと非難した。
直接対話のチャンネルを「日本政府が活用しようとしていないとしか思えない」
常岡氏は、「相当絶望的な状況」だとしながらも、少なくとも交渉を進められる可能性はあるとみている。
「2億ドルを払うというのが現実的ではないので、相当絶望的な状況に陥っている。望みは少ないが、それでも助けられる方法があるとすれば、イスラム国と直接対話するしかない。直接対話できるチャンネルを、私と中田先生が持っているのに、日本政府が今、活用しようとしていないとしか思えない。これが最大の問題」
具体的には、14年9~10月に予定されたようなイスラム法廷を開くように促すことで、少なくとも殺害は回避できる可能性があるということのようだ。
「彼らが最初から言っていたように、イスラム法廷を開いてくれればいい。そうすれば、こちらから証人を立てることもできる。完全無罪が取れないとしても、例えばむち打ち刑で許されるならば、それは首を切って殺されるよりはまし」
常岡氏は1月21日早朝にグーグルプラスに
「警視庁公安外事三課に対して、私戦予備陰謀事件というでっち上げの違法捜査には協力しないと申しましたが、邦人の人命救助のためなら外務省にも、警察にも喜んで協力します」
と書き込んで協力を申し出たが、現時点で警視庁や外務省からのコンタクトはないという。